Enrico ALBERTOSI
エンリコ・アルベルトージ | ||||||||||||||||||
| ||||||||||||||||||
| ||||||||||||||||||
|
天才的なセービングによって数々のタイトルを手中にした元イタリア代表守護神。時をほぼ同じくして現われた守護神ディノ・ゾフの名声には及ばないが、その実力はけして見劣りするものではなかった。 セリエDスペツィアにてプレーしていたが1958年に名門フィオレンティーナへ引き抜かれる。弱冠19才で迎えた翌年1月18日ローマ戦にてセリエAデビュー、若さが原因で思うような出場機会に恵まれなかったものの60/61シーズンより創設されたカップウィナーズ・カップ初代チャンピオンとなり決勝の舞台では1stレグ、2ndレグ共に出場を果たしている。その後監督に就任したヴァルカレッジの元で正守護神の座を射止め65/66シーズンのコパ・イタリア優勝に貢献し68/69シーズンよりカリアリへ移籍、60/70シーズンにはセリエAにおいてわずか11失点に抑えスクデット獲得に大きく貢献して見せた。30才半ばでミランへ移籍したが、ここでも在籍中正守護神として過ごし76/77シーズンのコパ・イタリア、39才で迎えた78/79シーズンのスクデットに大きな役割を果たしている。 まだまだ数年は現役を続行する予定であったが79/80シーズン途中に発覚した八百長スキャンダルに巻き込まれチームのB降格、更にはアルベルトージ自身も八百長に関与した疑いから長期の出場停止という重い処分を受け(その後無罪)2年もの間現役を離れる事となった。それでも82/83シーズンよりセリエCエルピディエンセにて現役復帰を果たし2シーズン通算44試合に出場を果たした。セリエA通算532試合出場は現在歴代7位の大記録であり、八百長スキャンダルがなければ今尚ベスト3に名を列ねていた事だろう。 代表では1961年6月15日アルゼンチン戦にてデビュー、翌年ワールド杯にもサブとして名を列ねた。翌1966年ワールド杯では全3試合に出場を果たしビッグトーナメントデビューも果たしたが2年後の欧州選手権ではゾフの台頭によりポジションを失っている。それでも1970年ワールド杯では正守護神の座を取り戻し準優勝に大きな役割を果たした。その後はゾフとのポジション争いに敗れ1972年以降出場機会にが恵まれなかったのは残念な所だ。代表通算34試合。 (08/02/28 Created)Presented by SHOW football Island | ||||||||||||||||||