Paulino ALCANTARA

パウリーノ・アルカンターラ

パウリーノ・アルカンターラのフォト
 フルネームパウリーノ・アルカンターラ・
リエストラ
 国籍スペイン・フィリピン
 生年月日1896年10月7日
 出身地イロイロ(フィリピン)
 ポジションFW
 身長・体重-cm・-kg
 個人タイトルなし
 ワールド杯なし
所属クラブ
1912-16バルセロナ
1916-17ボヘミアン・マニラ(フィリピン)
1917-27バルセロナ

スペイン名門バルセロナ、その長い歴史において今尚歴代最多得点記録として残る374ゴールを挙げ、伝説的ストライカーとして語り継がれているのが、このフィリピン系スペイン人アルカンターラであり、初めて欧州でプレーしたアジア生まれのサッカー選手としても歴史に名を残している。

1896年、当時フィリピンのイロイロに赴任していたスペイン人軍人の息子として生まれ、幼い頃からサッカーに慣れ親しんで育つ。1910年に勉強を続けるためバルセロナへ移住、その影響もありバルセロナのファンとなるとユースチームに参加、その実力はすぐに認められ1912年8月14日、弱冠15才でトップデビューを果たし、この試合でハットトリックを達成させ鮮烈なデビューを飾った。

1916年から18年まで生まれ故郷であるフィリピンに戻りボヘミアン・マニラでプレー、この間にフィリピン代表にも召集され日本で開催された極東選手権競技大会に出場、バルセロナで初めて国外の代表でプレーした選手として記録される事になる。

スペイン帰国後はディフェンダーとしてプレーしていたが英国人監督ジャック・グリーンウェルによってアウトサイドにコンバートされると、その得点能力を遺憾なく発揮するようになる。バルセロナでの活躍はスペインサッカー協会の目にもとまりアルカンターラを1920年アントワープ五輪に出場させようと代表に召集するが彼は医学の勉強を最優先としていたためこれを辞退、彼が出場していたならスペイン代表が2位に甘んじる事はなかったであろう。翌年10月7日ベルギー戦にてようやく代表デビューを果たしたがキャップ数はわずかに5試合(6得点)にとどまっている。

現役引退後はスペイン代表のコーチングスタッフとして参加するなどサッカーに関わる仕事に携り1964年2月13日、バルセロナにて亡くなっている。

余談だが、アジアサッカー協会オフィシャルによると1922年3月30日フランス戦において、その強烈なシュートによってゴールネットに穴を開けた選手として人々の記憶に残っているらしい。

(06/08/14 Created)
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