Roberto BAGGIO
ロベルト・バッジョ | ||||||||||||||||||
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デビューから現役を引退するまで「ファンタジスタ」と言う言葉の代名詞的存在であり、その言葉はロベルト・バッジョのためにあると言っても過言ではなかった。イタリアの至宝という名の元、母国を頂点に導く事は出来なかったが、見る者すべてを魅了するプレーは常に世界の頂点にあった。 84/85シーズンのC1ヴィチェンツァにおいて18才のロベルト・バッジョは29試合12得点の活躍を見せグエリン・スポルティボ誌の選出するC1最優秀選手を獲得、この活躍からフィオレンティーナへ移籍する。移籍1年目は怪我の影響もあって出場機会に恵まれず、移籍2年目の1986年9月21日サンプドリア戦にてセリエAデビューを果たした。翌シーズンよりレギュラーとしてプレー、バッジョの才能は徐々に輝きを放ちイタリア代表としても名前を連ねるようになっていく。ユベントスに移籍後、監督、ファン、チームメイトとの間に問題も起こしながらも92/93シーズンのUEFAカップ獲得に貢献、1993年にはイタリア人としては初となるFIFA年間最優秀選手に選出、更にバロンド−ルにも選出された。94/95シーズンにはバッジョ自身初のスクデット獲得、しかし、その頃ユベントス生え抜きのデルピエロの台頭もあり追われるようにミランへ移籍する。ミラン移籍初年度、バッジョにとって2度目となるスクデット獲得に多大なる貢献を見せ、異なるチームで2年連続のスクデット獲得からも、その存在の大きさは容易に想像出来る所だろう。00/01シーズンより加入したブレッシャではチームのB降格危機を救う所かセリエA7位の好成績を残す。その後も度重なる怪我を克服しファンを魅了すると03/04シーズン第25節パルマ戦にてセリエA通算200得点を達成、このシーズンを最後に惜しまれながら引退という選択をし、セリエA通算460試合、205得点の記録を残した。 代表としては1988年11月18日オランダとの親善試合にてデビュー。ワールドカップにても3大会連続で出場し、その華麗なプレーを見せて通算9得点を記録、それは世界のファンタジスタとして相応しいものでもあったが、3大会連続のPK戦による敗退と言う「イタリア悲劇の物語り」の主人公であった事も事実。1994年大会決勝戦、PK戦に終止符をうったのはロベルト・バッジョのPKであり、喜びを爆発させるブラジル選手の横で、ただ立ち尽くすだけの姿は、あまりにも印象的で残酷なものでもあった。1999年を最後に代表に呼ばれず、その後トラパットーニ体制となった事から2002年ワールドカップ出場を視野に入れ、大きな怪我を克服するもここでもメンバーに選出されなかったのは非常に残念であった。しかし、その後トラパットーニの粋な計らいにより2004年4月28日スペイン戦をロベルト・バッジョの引退試合とされ約5年振りにそのピッチに立った。背番号10番を付け、後半からは初のキャプテンマークをまいて魅せたプレーは引退してしまう事が信じられない程ファンタジー溢れるものであった。 どんな時でもその姿がピッチにある限り、必ず奇跡を起こしてくれる・・、そう思わせる素晴らしい選手であり、私達の心に深く刻まれた記憶は永遠に消える事はないだろう・・ロベルト・バッジョ、彼のような選手に再び巡り会う事を心から願っている・・。 (01/03/15 Created)(04/04/28 Last updated)Presented by SHOW football Island | ||||||||||||||||||