Igor BELANOV
イゴール・ベラノフ | ||||||||||||||||||
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スピードのあるドリブル、切れのあるシュートを武器とした80年代旧ソ連を代表するストライカー。1986年にはヤシンやブロヒンに続きソ連史上3人目にして最後のバロンドール受賞者となっている。 ベラノフは1960年9月25日、現ウクライナのオデッサに生まれ、地元クラブのチェルノモレッツにてキャリアをスタート。その後SKAオデッサ、そして再びチェルノモレッツと地元オデッサのクラブを経て1985年にディナモ・キエフに引き抜かれるとここでキャリアの絶頂期を迎える。加入初年度にクラブの2シーズンぶりのリーグ制覇に貢献するとソ連カップをも制覇、2冠を達成し、国内に旋風を巻き起こすと翌シーズンにもその勢いは衰えることなくリーグ2連覇を達成、更に欧州カップ・ウィナーズ・カップでは破竹の勢いで勝ち進み決勝進出、決勝アトレティコ・マドリーにも3−0と完勝し、この大会通算5得点を挙げチームメイトであったブロヒンと共に得点王を獲得すると同時にクラブに10シーズンぶりとなるカップウィナーズ・カップをもたらした。 ディナモ・キエフに移籍した同年1985年5月2日のスイス戦にて代表デビューを果たすと翌年のメキシコ・ワールドカップにも選出。初戦のハンガリー戦で1得点を決め、チームのグループリーグ突破に貢献。決勝トーナメント第1戦ではシーフォ、クーレマンス擁するベルギー相手にハットトリックを達成。チームは結局4−3で敗れてしまったがこのベラノフの活躍は強い印象を与えベラノフはこの年、ソ連史上3人目となるバロンドールを受賞する事となる。 1988年の欧州選手権、グループリーグではオランダを抑え1位抜けを果たし準決勝ではイタリアに2−0と完勝するが、決勝で再び合間見えたオランダ戦では相手GKの好守に加えシュートがポストを叩く等の不運も重なり準優勝に終わり、ベラノフの国際舞台での活躍は終わった。代表通算33試合8得点 80年代後半よりソ連国内で始まったペレストロイカの影響を受け、国外移籍が許され始めるとベラノフは1989年、29歳で祖国ソ連から西ドイツに移籍。1989年11月4日シュツットガルト戦にて国外リーグデビューを果たした。ドイツキッカー紙よりロケットと呼ばれ期待されたベラノフだったが、所属したボルシアMG、アイントラハト・ブラウンシュヴァイクでは満足した活躍ができず5シーズンで母国へ帰ることとなった。晩年はウクライナのチームにて選手とコーチを兼任し、現役を引退。その後ドイツでスポーツビジネスに従事している。 獲得したタイトルや代表での結果はヤシン、ブロヒンらと比べると見劣りするが85年から86年にかけての輝きは一瞬であったからこそ今でも人々の記憶に強烈に焼き付き、彼らと共に伝説として語り継がれているのである。 (03/04/30 Created)(04/05/23 Last updated)Presented by SHOW , collaboration is LEVEL-K football Island | ||||||||||||||||||