Manuele BLASI
マヌエレ・ブラージ | ||||||||||||||||||
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豊富な運動量を活かし、中盤の底で好守に渡り存在を示すイタリア代表MF。優れたテクニックも備えるが、04/05シーズンは守備面においても大きく成長を果たした。 ローマ生まれで強豪ASローマの下部組織で着実に成長、ブラージが16才の時トップ昇格を果たすが、その後経験を積むためセリエBにあったレッチェへ移籍し12試合に出場、1999年にローマへ戻り2000年1月22日ピアチェンツァ戦にて祈願のセリエAデビューを果たした。しかし、生まれ育ったローマの中盤は優れた人材が揃っており通算5試合のみの出場に終わりチームを離れる事となる。しかし、当時ペルージャを率いたS・コスミ監督の絶大な信頼の元不動のレギュラーとして活躍する事で改めて能力の高さを証明、在籍した3シーズンすべてにおいてセリエA残留に貢献している。この活躍が認められ03/04シーズンよりパルマへ移籍するが第2節、古巣ペルージャとの試合後のドーピング検査で、陽性反応を示し長期の出場停止処分を経験する事となり、自身にとって飛躍となるはずのシーズンはわずか12試合の出場に終わってしまった。これによりシーズン終了後、パルマを離れ自身をセリエAの舞台へデビューさせた恩師カペッロが指揮するユベントスへ引き抜かれるがここで完全復活、特に守備面において大きく成長を果たしこのシーズンのスクデット獲得に大きく貢献して見せたのである。翌シーズンこそヴィエラの加入もあって試合数は減ったが、リーグ2連覇に貢献し、その後ユベントスの八百長疑惑によるB降格に伴いチームを離れフィオレンティーナ、ナポリとチームを渡り歩いている。 代表としては超エリート街道を歩んでおり、1996年のUー15代表デビュー以降各年代の主力として活躍、1997年Uー16欧州選手権に出場し1999年Uー18欧州選手権では準優勝、2002年のUー21欧州選手権では全試合に出場しベスト4進出の原動力となった。2004年8月18日アイスランド戦においてフル代表デビューも飾り以後代表メンバーの常連といなったが、豊富なタレントが揃うイタリアという事もあり2006年W杯は無念のメンバー落選となっている。 (05/06/29 Created)(08/01/07 Last updated)Presented by SHOW football Island | ||||||||||||||||||