Valeri BOJINOV
ヴァレリー・ボイノフ | ||||||||||||||||||
| ||||||||||||||||||
| ||||||||||||||||||
|
左足の強烈なシュート力に加え、スピード、キープ力といったストライカーに必要とされるすべてのテクニックを備えるブルガリア代表ストライカー。今後欧州の舞台で主役となるであろう大器であるが、怪我が多いのが残念な所。 継父であるサッショ・アンゲロフがプロサッカー選手であった事もあり幼年時代よりサッカーの才能を開花させる。いくつかの少年チームにおいて類い稀な才能を発揮し国際ユーストーナメント等の大会で得点王を獲得するなどの活躍を見せた事からレッチェフロント陣の目にとま事となった。01/02シーズン、レッチェはボイノフの活躍からプリマヴェーラのコパ・イタリアにて優勝を成し遂げ、更にこのシーズン、2002年1月27日ブレッシャ戦では15才11ケ月と12日でセリエAデビュー、これはセリエA外国人最年少デビュー記録を塗り替えるものであった。このシーズン、チームはB降格という成績に終わったがその翌年にはセリエA復帰、03/04シーズンより主力として活躍しそのパフォーマンスによりブルガリアの新星として脚光を浴びる。04/05シーズンにはその能力が本格的に開花、シーズン中盤戦までに2桁得点とゴールを量産した事から冬の移籍市場にて各国のビッグクラブが獲得に動く中、不振に苦しむフィオレンティーナへ電撃移籍、チームの危機を救う救世主となれるはずであったが、すぐに大きな怪我に見舞われシーズン後半のほとんどを棒に振っている。翌シーズンには復調、主役の座はルカ・トーニに譲ったが、今後改めて期待のもてるプレー振りは見せ、翌06/07シーズンより八百長疑惑によりセリエB降格となったユベントスへ移籍した。ここでA復帰に貢献したものの怪我の影響から脚光を浴びる事はなく、07/08シーズンより新たなるスタートをきったプレミアリーグにおいても開幕直後、左膝十字靱帯断裂の大怪我に見舞われている。 代表デビューは2004年6月22日イタリア戦、欧州選手権の大舞台であった。その後自身のアイドルであったストイチコフが代表指揮官となってからも主力として認められ、同年8月18日アイルランド戦にて代表初得点を記録。2006年W杯欧州予選でも主力として活躍していたが怪我によって離脱を余儀無くされ、母国もW杯出場を逃したのは残念であった。ベルバトフと共に、今後のブルガリア代表復活にかかる期待は大きいところだ。 (05/01/29 Created)(07/12/21 Last updated)Presented by SHOW football Island | ||||||||||||||||||