TONINHO CEREZO

トニーニョ・セレーゾ

トニーニョ・セレーゾのフォト
 フルネームアントニオ・カルロス・セレーゾ
 国籍ブラジル
 生年月日1955年4月21日
 出身地ベロ・オリゾンテ
 ポジションMF
 身長・体重181cm・73kg
 個人タイトルなし
 ワールド杯1978年3位
1982年2次リーグ進出
所属クラブ
1972アトレティコ・ミネイロ
1973ナシオナル・マナウス
1974-83アトレティコ・ミネイロ
1983-87ローマ(イタリア)
1987-92サンプドリア(イタリア)
1992-93サンパウロ
1994クルゼイロ
1995ロサーノ・パウリスタ
1996アメリカ・ミネイロ

ジーコ、ソクラテス、ファルカンと共に「黄金のカルテット」を形成し彼等がその能力を発揮する上で、主に守備的な役割を果たしたトニーニョ・セレーゾの存在は不可欠であった。豊富な運動量と粘り強い守備能力に加え、的確な判断からの素早い攻撃参加、まさに現代ボランチの見本といえる選手であった。

アトレティコ・ミネイロにて頭角を現し、在籍中通算6度の州選手権優勝を果たしたチームの中で339試合52得点を挙げたセレーゾの存在は絶大なものであった。1983年、ファルカンが活躍するセリエAローマへ加入、いきなりチャンピオンズ・カップ決勝進出へ大きな役割を果たす。決勝リバプール戦ではPK戦の末敗れたものの、その後83/84、そして85/86シーズンのコパ・イタリア制覇にその存在は不可欠なものであった。1987年より同じセリエA名門サンプドリアへ移籍、ここでも本領を発揮し、87/88、88/89シーズンのコパ・イタリア連覇、更に89/90シーズンのカップウィナーズ・カップ優勝を果たすと90/91シーズンにはクラブ初のスクデット獲得に大きく貢献し、1946年クラブ創設以来、最強と唱われる黄金期を築いたのである。1992年、母国へ戻り強豪サンパウロへ加入すると、30代後半という年齢を思わせないプレーで主力として活躍、1992年に欧州覇者バルセロナを下しトヨタカップ優勝に貢献すると翌年のリベルタドーレス杯でも優勝、2大会連続となったトヨタカップではミラン相手に1得点1アシストの活躍を見せ連覇を達成し、自身はこの試合の最優秀選手に選出されている。その後は40才を過ぎるまで現役としてプレー、引退後は指揮官としても活躍しジーコの要請を受け就任したアントラーズではリーグ、ナビスコ杯、天皇杯の3冠を達成している。

ブラジル代表として初のピッチを経験したのは1977年3月3日、非公式となったボタフォゴ戦、その約1週間後の9日コロンビア戦にて公式デビューを果たした。1978年ワールド杯では6試合に出場し3位に貢献、2次リーグで敗退となった1982年ワールド杯でも「黄金のカルテット」の1人として高い評価を受けている。通算74試合7得点。

(01/03/15 Created)(03/10/19 Last updated)
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