Bobby CHARLTON
ボビー・チャールトン | ||||||||||||||||||
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卓越した得点能力とテクニックを備え、あのディ・ステファノの後継者とまで称されるファンタジーで人々を魅了した元イングランド代表ストライカー。「ミュンヘンの悲劇」から生還し、マンチェスター・ユナイテッドの復活、そして黄金期に大きく貢献した事でも知られる。 ボビー・チャールトンことロバート・チャールトンはイングランドの北東部にある小さな町アシントンに生まれ、母親はニューカッスルの伝説的スターとして君臨したジャッキー・ミルバーンの姉。素晴らしい血統を持つボビーは、このミルバーンに憧れ2才年上の兄ジャッキーと共に幼年時代よりサッカーを始める。15才の頃、約20ものクラブから誘いを受け1954年10月4日にマンチェスター・ユナイテッドの一員となるとその2日後、チャールトン・アスレティック戦にてデビューを果たす。当時チームにはトップ・テイラーという絶対的なストライカーがいたため多くの出場機会は与えられなかったが、彼が怪我から戦列を離れたのきっかけにチャンスをものにすると1957年のリーグ連覇に大きく貢献する。そんな中、1958年2月6日に悲劇は起こる・・ このシーズンのチャンピオンズ・カップにて敵地でレッドスターを敗り帰国途中、給油で立ち寄ったミュンヘンにて飛行機は離陸に失敗し炎上、犠牲者22人の中にはチームの主力8人も含まれていた。ボビーもまた重傷を負うが、当時の指揮官マッド・バスビーと共に奇跡的に命はとりとめ、やがてこの2人によってチームは再建される事になる。チームの象徴的存在として君臨し事故から5年の歳月を経た頃にはデニス・ロー、ジョージ・ベストといったスーパースターを擁し最強のチームを形成、1963年FAカップにて優勝を遂げ久々のタイトルを獲得すると64/65、66/67シーズンリーグ優勝、そして、あの事故から10年後となる67/68シーズンには祈願であったチャンピオンズ・カップのタイトルをクラブにもたらしヨーロッパ制覇の夢を達成して見せた。1973年、ブレストン・ノースエンドにてプレーイングマネージャーとして迎えられ1年間プレーした後現役生活を終えた。 1958年4月19日スコットランド戦、ゴールを挙げる華々しい代表デビューを果たすが当時代表監督であったウィンター・ボトムは2ヶ月後に控えたワールド杯メンバーから外す。その後レギュラーに定着し1962年大会には全4試合に出場1得点でベスト8に貢献、1966年大会では全6試合に出場し3得点を挙げ優勝に大きく貢献した事から、この年の欧州最優秀選手(バロンドール)にも選出された。イングランド史上最も成功した伝説的プレーヤーであり、彼の武器でもあった左足から繰り出す強烈な「キャノンシュート」は今尚真似出来たプレーヤーは存在しないといわれている。 (01/03/15 Created)(03/02/17 Last updated)Presented by SHOW , collaboration is LEVEL-K football Island | ||||||||||||||||||