Jose Luis CHILAVERT

ホセ・ルイス・チラベルト

チラベルトのフォト
 フルネームホセ・ルイス・フェリックス・
チラベルト・ゴンザレス
 国籍パラグアイ
 生年月日1965年7月27日
 出身地ルケ
 ポジションGK
 身長・体重188cm・93kg
 個人タイトル1996年南米最優秀選手
(エル・パイース誌)
 ワールド杯1998年ベスト16
2002年ベスト16
所属クラブ
1980-83スポルティボ・ルケーニョ
1884グアラニ
1984-88サンロレンソ(アルゼンチン)
1988-91レアル・サラゴサ(スペイン)
1991-00ベレス・サルスフィエルド(アルゼンチン)
2000-03ストラスブール(フランス)
2003ペニャロール(ウルグアイ)
2004ベレス・サルスフィエルド(アルゼンチン)

抜群の瞬発力を活かしたワールドクラスのセービング能力を誇り、圧倒的な存在感でチームを統率するキャプテンシーも見事としか言いようがなかった。また、FK、PKの名手としても知られ、その左足から数多くの貴重な得点を記録、プロキャリアにおいて通算62得点を挙げており、これは2006年8月にブラジル代表ロジェリオ・セニが更新するまでの世界記録であった。

ホセ・ルイス・フェリックス・チラベルト・ゴンザレスは弱冠15才にてデビューを果たした母国スポルティボ・ルケーニョにて頭角を現し、その後アルゼンチンリーグ、スペインリーグにて正守護神として活躍、1991年より加入した名門ベレス・サルスフィルドにてクラブ創設以来の黄金期を築く事となる。92/93シーズン後期リーグ優勝に始まり1994年にはクラブ祈願のリベルタドーレス杯制覇に貢献、準決勝、決勝ともにPK戦にまでもつれる混戦は、このチラベルトの存在によってもたらされたと言っても過言ではないだろう。同年12月1日に開催されたトヨタカップでも欧州覇者ミランを完封、世界最強の称号を手中にした。更に95/96前期後期のリーグ優勝、97/98後期リーグ優勝、1996年南米スーパーカップ等、数々のタイトルを獲得したクラブにあってチラベルトの存在が不可欠であったのは言うまでもなく、通算4度の世界年間最優秀GKに選出された他1996年にはGK初エル・パイース紙の選出する南米年間最優秀選手に選ばれた。00/01シーズン途中より自身2度目となる欧州へ渡り、このシーズンのチームの2部降格を防ぐ事は出来なかったが、フランスカップではリヨンやナントといった強豪を破り、決勝アミアン戦でもPK戦にて勝利し優勝に大きな役割を果たしている。01/02シーズン、2部降格にも関わらずチームに残留し1年での1部復帰に貢献したが、偽造契約書作成疑惑から一方的に解雇されるという不運を経験している。

その後、母国強豪チーム、セロ・ポルティーニョへの加入が決定するも同時期にライバルチームであるオリンピアからもオファーを受け、「自分はパラグアイ国民の英雄。どちらかのクラブに入れば、一方のファンから敵視される」とのコメントを残し契約を白紙に戻した。その後ウルグアイ強豪ペニャロールにてプレーした後現役引退を決意するも古巣ベレスからの誘いを受け現役復帰、2004年4月までプレーした後現役を退いた。同年11月の引退試合では先制点を挙げるなど最後までファンを魅了、有終の美を飾った。

代表デビューは1989年8月27日コロンビア戦。このデビュー戦にてPKから代表初出場初得点を記録し、以後不動の守護神として長期に渡って活躍した。1998年W杯南米予選ではアルゼンチン戦にてFKを決めるなど予選大会を通して素晴らしい活躍を見せ1986年以来のW杯出場に貢献、この予選にてチラベルトの欠場した4試合は1勝3敗であり、その存在の大きさが分かる所であり、本大会では予選リーグ突破に多大なる役割を果たした。決勝トーナメント1回戦にて地元フランスとの試合でも延長にまでもつれる混戦を演じ結局、ブランの一発に敗れはしたが、その高い能力は誰もが認める所となりこの大会の最優秀GKにも選出されている。また、フランス戦では敗れた瞬間に一瞬の悔しさを見せたが、その後泣き崩れるチームメイトを力強く励まし抱え上げる姿は、多くのファンの心に感動として刻まれている事だろう。2002年W杯でもベスト16進出に貢献、ドイツとのトーナメント1回戦では当時世界最強と称された守護神カーンを相手にFKを放つ名場面を演じている。W杯GK初得点は成し得なかったが、W杯のピッチがよく似合うスター性抜群の異彩であった。代表通算72試合8得点。

(01/03/15 Created)(06/08/27 Last updated)
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