Fabricio COLOCCINI
ファブリシオ・コロッチーニ | ||||||||||||||||||
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10代の頃から想像も付かない冷静で的確な判断力を備え、エリア内では抜群の強さと守備センスを発揮する。また、ディフェンダーでありながら得点能力が高いのも持味。その将来性を評価されているディフェンダーの1人であり、代表では主力の一人として活躍中にある。 ファブリシオ・コロッチーニの父親は80年代コルドバやサンロレンソで活躍したセンターバック、オスバルド。偉大な父親を見て育ったコロッチーニはマラドーナやレドンドを輩出した事でも知られる名門アルヘンチノス・ジュニアーズへ加入。ここでその技術に磨きをかけ1998年にボカへ移ると翌年の6月にトップデビューを果たす。2000年よりミランへ引き抜かれるが出場機会に恵まれず再び母国のクラブチームサンロレンソへレンタル移籍する事となるが、ここでその才能を開花させ2001年後期リーグ優勝に大きく貢献する。01/02シーズンよりアラヴェスへ加入し間もなく20才という年齢とは思えない程の存在感を示しチームの躍進に大きく貢献する活躍を見せた。02/03シーズンより名門アトレティコ・マドリードへ加入、27試合に出場し相変わらずの能力は見せたが、大型補強を敢行したチームでありながら12位と期待外れの成績に終わったのは残念であった。シーズン終了後、一時ミランへ戻るが、再びスペインへ活躍の場を求めビジャレアルへレンタル移籍、リーグ8位他UEFAカップベスト4進出躍進の原動力となった。その後04/05シーズンにミランへ戻るが、またも出場機会に恵まれずシーズン途中よりミランを離れる事となるが、すでにスペインではリーガ屈指のDFとして認められている。 2001年6月、母国にて開催されたワールドユースにてキャプテンとして活躍しチームの優勝に大きく貢献、そのDF能力の高さは、得点王を獲得したサヴィオラと同等の評価を得た。その後2003年4月30日リビアとの親善試合にてフル代表デビューも果たし、2004年アテネ五輪では全試合に出場し母国に金メダルをもたらしている。更に同年コパアメリカでは準優勝メンバーとなりユース時代の恩師ペケルマンが監督に就任するとその地位を確立させ2006年W杯メンバーにも選出、2試合に出場を果たしている。 (01/12/13 Created)(06/09/04 Last updated)Presented by SHOW football Island | ||||||||||||||||||