Dixie DEAN
ディキシー・ディーン | ||||||||||||||||||
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驚異的な跳躍力から繰り出されるヘディングによって数多くのゴールを記録、今尚欧州記録として残る1シーズン60得点は今後も永遠に破られる事はないだろう。またエバートンにおいて記録したリーグ通算349得点がクラブレコードであるのは言うまでもない。 ディキシー・ディーンことウィリアム・ラルフ・ディーンは鉄道員として働く父親の元に生まれる。エバートンの熱狂的ファンであった父親の影響から幼い頃からサッカーに親しんでいく傍ら家計を助けるため少年の頃から過酷な労働を強いられる事で、強靱な身体を築き上げていく。14才で学校を卒業しボイラー技師見習いとして働きに出るが、この頃すでに地元で有名なサッカープレーヤーとなっていたためヘスウォール、ペンスビー・U、トランメア・ローヴァーズ等のチームでプレー、ここでのプレーが認められ翌年には自身の夢でもあったエバートンへ引き抜かれた。 エバートン加入後最初のテストマッチで7得点を記録した事で実力は証明され1925年3月21日アーセナル戦にてトップデビュー、初のフルシーズンを戦った翌25/26シーズンに32得点を記録して絶対的な地位を確立させた。1926年6月にバイク事故に遇いアゴの骨を砕く重傷を負うが、このシーズン途中に復帰後は27試合21得点を記録している。そして迎えた27/28シーズン、開幕当初から破竹の勢いでゴールを量産するとチームも快進撃を続け第1次世界大戦後初のリーグ優勝を成し遂げ、自身は通算60得点と驚異的な記録を残し伝説として語られていく事となる。(このシーズンの得点数の半分以上がヘディングによる得点だったらしい)30/31シーズンには2部降格を屈するもディーンの得点王となる39得点で1部復帰、翌シーズンには44得点を記録し1部復帰1年目でリーグ優勝に貢献している。また、32/33シーズンにはFAカップ制覇も成し遂げている。 1シーズン60得点にクラブ最多となる349得点、リーグ12戦連続ゴールに在籍通算37回のハットトリック(プロキャリア通算では43回)、さまざまなクラブレコードを残したディーンは37/38シーズンを最後にエバートンを退団、翌シーズン終了後現役を引退した。 代表としては1927年2月12日ウェールズ戦でデビューし、デビューから5戦連続ゴールを記録するなどの活躍を見せたが通算16試合の出場に終わっている。通算18得点。 1980年3月1日、リバプールとのダービーマッチを観戦中に心臓発作を起こしこの世を去ったが、場所は自身の愛したエヴァートンのホームスタジアムであるグッディンソン・パークであった。 余談だが、愛称であるディキシーの呼び名を本人は好んではいなかった。ディキシーランドと呼ばれたアメリカ南部地方に由来しており、綿花畑での労働力として大量に連れてこられた黒人奴隷達の黒くて強い癖毛とディーン自身の癖毛を結び付けチームメイトが名付けたものらしい。 (01/08/16 Created)Presented by SHOW , collaboration is LEVEL-K football Island | ||||||||||||||||||