Alessandro DEL PIERO
アレッサンドロ・デルピエロ | ||||||||||||||||||
| ||||||||||||||||||
| ||||||||||||||||||
|
才能豊かな繊細かつ華麗なテクニックは見る者を魅了し、かつてプラティニやバッジョがユベントス時代に付けた背番号「10番」を若くして受け継ぎ、イタリア代表の主役としても活躍。「デルピエロゾーン」とまで言われる得意のシュートコースを持ち、左サイドから中央に切れ込んで振り抜く右足は抜群の決定力を誇る。 91/92シーズン、セリエBパドバにてキャリアをスタートさせその非凡な才能を買われて1993年名門ユベントスへ引き抜かれ同年9月12日フォッジア戦にてセリエAデビューを飾る。94/95シーズン、R・バッジョの故障によって出場機会を増やしその能力を発揮、スクデット獲得に大きく貢献すると同時にその評価も急激に上昇する。(この年の欧州年間優秀賞4位)翌シーズンのスクデットは逃したもののチャンピオンズ・リーグを制覇、1996年トヨタカップでも来日し決勝点を記録、MVPにも選出されている。96/97シーズンよりスクデット2連覇を達成、97/98シーズンには自身最高の21得点を記録する。その後、度重なる怪我やスランプに陥り、その評価を落とす事もあったがデルピエロほど「華のある選手」と言う言葉が似合う選手はなく、ジダンの去った01/02シーズンには16得点を挙げる活躍を見せ、最終節の逆転スクデット獲得に貢献、翌シーズンにも16得点を挙げてスクデット連覇に大きく貢献している。 また、2006年1月10日、この日行われたコパ・イタリアフィオレンティーナ戦ではハットトリックを達成させボニペルティの持つクラブ歴代最多182得点を大きく更新する185得点目を記録しクラブの歴史に大きな足跡を残している。04/05、05/06シーズンのスクデットはその後のチームの八百長疑惑により剥奪されたが、ペナルティとして課せられたB降格時にもいち早くチーム残留を表明、「生涯ユベントス」を貫く姿勢に感動すらおぼえる所であり、2007年1月20日バーリ戦ではクラブ歴代3人目となるユベントス通算500試合出場を達成、そしてセリエA復帰を果たした翌シーズンには通算552試合というG・シレアの記録を抜き去っている。 代表デビューは1995年3月25日エストニア戦。1998年、2002年ワールド杯と出場を果たし、2002年ワールド杯グループリーグ第3戦のメキシコ戦にて途中出場から劇的な同点弾を記録し、予選敗退の危機にあったチームを救った。2006年ワールド杯では5試合に出場、国民の悲願、そしてデルピエロ自身の夢でもあったワール杯優勝を成し遂げ、大きな栄冠を手中にしている。 (01/08/14 Created)(08/04/30 Last updated)Presented by SHOW football Island | ||||||||||||||||||