Martin DEMICHELIS
マルティン・デミチェリス | ||||||||||||||||||
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安定感のあるディフェンス能力、空中戦での強さ、そしてセンターバックに最も必要とされる統率力は元アルゼンチン代表パサレラの再来とまで期待される逸材。元々中盤でプレーしていた事もあり、ボランチでプレーする事も出来る。 コンプレホ・デポルティボでプレーした後、サンチャゴ・ソラーリの叔父であるホルヘ・ソラーリに見い出され、若手育成に定評のあるサッカースクール「レナト・セサリーニ」へ入る。ここに訪れるリーベルスカウトの目にとまると幼年時代からの憧れであったリバープレート入りを果たす。ユースレベルで技術に磨きをかけると当時トップを率いたラモン・ディアスによって1軍へ引き上げられ、2001年9月2日エストゥディアンテス戦にてデビューを飾る。以後不動のセンターバックとして君臨、最終ラインで絶大な存在感を示し01/02後期リーグ優勝に貢献、02/03シーズン後期リーグ開幕前にシーズン終了後のバイエルン・ミュンヘンへの移籍を確定させると、このリーベルでの最後となるシーズンに優勝という最高の形で欧州で渡るのである。 アルゼンチンでプレーした後休暇を取らずにバイエルン・ミュンヘンのトレーニングキャンプに合流した事が災いし筋肉を故障、シーズンを出遅れるがその後コンディションを整え2003年8月30日B・ノインキルヘンとの国内カップ戦にて欧州デビュー、9月27日ハンザ・ロストック戦にてブンデスリーガデビューを果たした。その後不振に陥ったフリンクスに代わりボランチとしてプレーしリーグ優勝及び国内カップの2冠に大きな役割を果たした。ここでの活躍はアルゼンチン代表監督ペケルマンの目にもとまり2005年11月12日イングランド戦においてフル代表デビュー、残念ながら2006年W杯メンバーからは漏れたがそのポテンシャルを持ってすれば、「パサレラの再来」という期待通りのスタープレーヤーになれる可能性を秘めている。 余談だが、リーベル時代、02/03シーズン後期リーグ第16節では交代枠を使い切った後GKが退場となり、急造GKとしてプレーしている。また、欧州屈指の強豪バイエルン・ミュンヘンにとって初のアルゼンチン人選手であるのも意外な所である。 (03/10/23 Created)(06/05/17 Last updated)Presented by SHOW football Island | ||||||||||||||||||