Agostino DI BARTOLOMEI
アゴスティーノ・ディ・バルトロメイ | ||||||||||||||||||
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優れたパスの技術と広い視野を兼ね備え、得点力にも優れたローマの英雄であり82/83シーズンにはキャプテンとしてスクデットを獲得している。1994年に自ら命を断ちファンを悲しませたが、その雄姿は今尚熱狂的なロマニスタに崇拝され、記憶の中で生き続けている。愛称「ディーバ」。 ローマ出身であり、ディ・バルトロメイ自身も生粋のロマニスタであった事から少年時代よりローマの育成期間で育つ。1972年にトップ昇格を果たし1973年4月22日インテル戦にて18才でセリエAデビューを果たした。その後2シーズンは若かった事もあり、思うような出場機会に恵まれずにいたがセリエBにあったヴィチェンツァにレンタル移籍した事で多くの出場機会を得、能力の高さを証明する事に成功する。ローマ復帰後は主力として活躍、1980年初頭より主将も任され79/80、80/81のコパ・イタリア連覇他、82/83シーズンには祈願のスクデットをも獲得し、ロマニスタから絶大な信頼を得るのである。83/84シーズンチャンピオンズ・カップでは決勝に勝ち進みPK戦にまでもつれる混戦の中で、1番手のPKキッカーとしてこれを成功させた。しかし、続くコンティ、グラツィアーニが失敗した事でこのタイトルには手が届かなかったのは残念であった。更にこの敗戦によりローマフロント陣はチームの改革を決行、ディ・バルトロメイの放出も噂され、これを阻止しようとするファンは何千にも及ぶ署名を集めたがこの声はフロント陣には届かず、ローマ監督であった恩師リードホルムと共にミランへ去る事となった。ディーバにとって非常に不本意な移籍であったがミラン加入後もその能力を遺憾なく発揮、ミランの低迷期にあってタイトルこそ手に出来なかったが、中盤の指揮者として存在を示しその後移籍したチェゼーナではセリエA残留に貢献、キャリアの最後となったセリエC1サレルニターナでは89/90シーズン30試合9得点でセリエB昇格に貢献している。 引退後はサッカーとは無縁の生活を送るが、本心は愛するローマのためにフロント入りをし生涯を捧げたい気持ちでいっぱいだったのであろう。しかし、この夢を自ら志願する事なく、1994年5月30日自らの命を断ってその生涯に終止符を打った。自殺の本当の理由は明らかになっていないが、この命日となった5月30日はローマがチャンピオンズ・カップ決勝で破れた日と同じ日でありローマに対する何らかのメッセージととらえる事が出来るだろう・・。 また、イタリア代表としては当時の偉大なるプレーメーカーであったアントニョーニの壁を超えられず、1試合の出場機会にも恵まれていない。だが、Uー21代表としては通算8試合に出場しデビュー戦となったフランス戦でいきなりハットトリックを達成するなど通算7得点を記録、フル代表でも十分に活躍出来る選手であっただけに時代が違えば、世界的名声も手に入れていただろう・・。 (05/07/05 Created)Presented by SHOW football Island | ||||||||||||||||||