DIDA
ヂダ | ||||||||||||||||||
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現代GKに必要とされる足下の技術には難があるが、抜群の反射神経から至近距離からのシュートにも素晴らしい反応を見せ、PKストッパーとして名高いブラジル代表守護神。 地元ヴィトリア・バイーアにてキャリアをスタートさせ1993年にトップデビュー、ここでの活躍が認められ強豪クルゼイロに移ると不動の守護神として君臨、数回の州選手権優勝等のタイトルに貢献すると1997年にはリベルタドーレス杯優勝も達成しクラブの黄金期を支える。(同年トヨタカップでは来日し出場している。)1998年よりミランへ引き抜かれるが、出場機会に恵まれず、以後母国の名門コリンチャンスとミランの間を渡り歩く事となる。1999年、コリンチャンスの全国選手権優勝に貢献した後ミランへ戻った際、2000年11月1日パルマ戦にてセリエAデビューを飾るが、その後パスポート疑惑というトラブルに巻き込まれ出場機会に恵まれる事はなかった。しかし02/03シーズンよりミランへ復帰を果たすとアッビアティから正GKの座を奪い30試合に出場、本格的なデビューシーズンを飾っただけでなくチャンピオンズ・リーグ、コパイタリアの2冠に大きな役割を果たしたのである。チャンピオンズ・リーグ決勝ユベントス戦はPK戦にまでもつれこむ混戦であったが2本のPKを阻止したブッフォンを上回る3本のPKを止めて改めてPKストッパーとして優れる事を証明している。ちなみに、PKストッパーとして有名になった由縁は1999年から2001年1月までにブラジル代表と当時所属したコリンチャンスにて8回連続で訪れたPK機会をすべて阻止するという伝説的な偉業にある。03/04シーズンにはミラン5シーズン振りのスクデットに大きく貢献し不動の守護神として活躍中である。 1993年ワールドユース優勝メンバーの1人であり1996年アトランタ五輪にて日本に敗れた時の守護神である事は有名。その後1997年7月7日エクアドル戦にてフル代表デビューを果たし1998年ワールド杯ではタファレルの控えとしてメンバーに選出された。1999年コパアメリカでは正守護神として活躍し優勝に貢献、2002年ワールド杯南米予選でも序盤戦は主力として君臨していた。その後監督に就任したフェリペの元ではマルコスに正GKの座を奪われ、ワールド杯メンバーに選出されるもピッチに立つ事はなかった。しかし、大会後監督に就任したペレイラの元で正守護神として返り咲き断固たる地位を確立、2006年ワールド杯では全5試合に出場している。 (03/07/03 Created)(06/09/13 Last updated)Presented by SHOW football Island | ||||||||||||||||||