Dragan DZAJIC

ドラガン・ジャイッチ

ドラガン・ジャイッチのフォト
 フルネームドラガン・ジャイッチ
 国籍ユーゴスラビア
 生年月日1946年5月30日
 出身地ベオグラード
 ポジションFW・MF
 身長・体重174cm・77kg
 個人タイトル1968年欧州最優秀選手投票3位
(F・F誌)
 ワールド杯1974年2次リーグ進出
所属クラブ
1961-75レッドスター
1975-77バスティア(フランス)
1977-78レッドスター

あのベッケンバウアーに「戦後、ジャイッチ以上のレフトウィンガーは現れていない」と評されれば、「母国の英雄フィニー、マシューズすらジャイッチのプレーには及ばない」とボビー・チャールトンに言わしめる程、歴代最高のレフトウィングとして名高い。天性の才能に溺れず常に鍛練する事で技術に磨きをかけ、20世紀最高と評されるクロスの精度に加え、優れた得点感覚も持ち合わせた。2003年10月、セルビア・モンテネグロにて過去50年歴代最優秀選手にも選出、2位のストイコビッチに大差での選出は母国最高の英雄である事を証明している。

15才まではジェヂンストヴォ・ウブでプレー、1961年より地元強豪レッドスターに加入し翌シーズンにトップチーム入りを果たす。トップデビュー後はすぐに不動の地位を確立させ、その後キャプテンとして数多くの得点を演出、更に通算590試合287得点(ユーゴスラビアサッカー協会参照)とアシスト能力だけでなく驚異的な得点能力も発揮し通算5度のリーグ優勝、4度の国内カップ優勝にクラブを導いたのである。優勝候補に挙げられた70/71チャンピオンズ・カップでは順調に勝ち進んだものの準々決勝カール・ツァイス・イエナ戦において退場となった上、以後4試合の出場停止処分、これがチームに響いた結果、準決勝パナシナイコス戦にて敗退したのは残念であった。この魔法の左足を欲しがるミランやレアル・マドリード等欧州ビッグクラブは数多くあったが当時ユーゴスラビアでは28才になるまで海外でプレーする事が出来ず、更に、28才を前にして骨折と15ヶ月の兵役という不運に見舞われ、その機会を失い、その後移籍したバスティアが彼がプレーした唯一の海外クラブとなった。キャリアの最後を古巣で過ごし、32才という若さで現役を引退、1979年よりレッドスターのテクニカルディレクターとなり、80年代初頭ニシュにて底知れぬポテンシャルを発揮していたストイコビッチを、自宅まで訪問し自ら説得獲得した話は有名である。1989年にはチームの会長となりその手腕を発揮している。

1964年6月17日ルーマニア戦にて代表デビューを果たし、以後長きに渡ってチームを牽引、通算85試合(23得点)は2004年にミロセビッチに抜かれるまでのユーゴスラビア歴代最多キャップであった。1968年欧州選手権準決勝にてイングランドを撃ち破る決勝弾を記録するなど準優勝に貢献、この大会での活躍からバロンドール候補に名が挙がったがマンチェスター・Uのベスト、チャールトンに次ぐ3位に終わった。1974年ワールド杯でも全5試合に出場、2次リーグ西ドイツ戦では伝説のタイトマーカー、ベルティ・フォクツに封じ込まれたが、2年後同じ対戦となった欧州選手権準決勝では逆にフォクツを翻弄、試合には敗れたものの見る者を魅了し、改めて能力の高さを証明してみせた。

(03/10/29 Created)(05/02/27 Last updated)
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