Duncan EDWARDS
ダンカン・エドワーズ | ||||||||||||||||||
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50年代マンチェスター・ユナイテッド名将マッド・バスビーが率いた「バスビー・ベイブス」の象徴的存在。パワー、テクニック、戦術眼、その若さから想像すら出来ないプレーで観客を魅了し当時将来を最も嘱望されたスタープレーヤーであったが「ミュンヘンの悲劇」によって弱冠21才で命を落とした。 第2次世界大戦後、低迷するマンチェスター・Uを率いた名将マッド・バスビーは、クラブを欧州トップクラスのチームにするため若手の育成に力を入れた。そんな中でも傑出した存在であったエドワーズは16才でトップデビューを果たすとその後クラブのキャプテンとして活躍、55/56シーズンからの2連覇を達成し1955年4月2日スコットランド戦では18才と183日の20世紀イングランド最年少代表デビュー記録を樹立する。(この記録は1998年2月11日、オーウェンが18才と59日で記録更新する40年以上もの間、破られる事はなかった。) 以後華々しいキャリアを積んで行くであろうと思われた矢先の1958年2月6日、チャンピオンズ・カップ準々決勝第2戦の帰途途中で給油のため立ち寄ったミュンヘンにて飛行機が離陸に失敗、レギュラー7人が即死する大惨事に遭遇する。エドワーズも事故後2週間生死をさまよった後、帰らぬ人となった。その10年後、あの事故で奇跡的に生き残ったバスビー監督やボビー・チャールトン等によって初のチャンピオンズ・カップをクラブにもたらし大きな感動を呼んだのはあまりにも有名な話である。もしエドワーズが存命であったならば、今以上の名声は言うまでもなく18キャップに止まった代表出場記録も100キャップ以上に達していた事だろう。 (03/05/22 Created)Presented by SHOW football Island | ||||||||||||||||||