Emlyn HUGHES

エムリン・ヒューズ

エムリン・ヒューズのフォト
 フルネームエムリン・ワルター・ヒューズ
 国籍イングランド
 生年月日1947年8月28日
 出身地バロー・イン・ファーネス
 ポジションDF・MF
 身長・体重180cm・81kg
 個人タイトルなし
 ワールド杯1970年ベスト8
所属クラブ
1965-67ブラックプール
1966-79リバプール
1979-81ウォルバーハンプトン・ワンダラーズ
1981-83ロザラム
1983-84ハル・シティ
1983-84マンスフィールド・タウン
1983-84スウォンジー・シティ

底なしのスタミナを持ち、躍動感溢れるプレーで「クレイジーホース」の愛称で知られ、親しみやすい性格も手伝って絶大な人気を誇った。70年代リバプール黄金時代を支えた英雄でもある元イングランド代表。

エムリン・ヒューズはバロー・イン・ファ−ネスで生まれ、有名なラグビー選手であった父親フレッドの影響もあり少年時代はラグビー選手としてプレーするが、その後サッカーに転向し1965年にブラックプールにてプロキャリアをスタートさせる。2シーズン過ごし28試合でプレーした後、当時リバプールを指揮した名将ビル・シャンクリーの目にとまり66/67シーズン途中6万5千ポンドで引き抜かれ、1967年3月4日ストーク・シティ戦にてリバプールのメンバーとしてデビューを果たした。ここですぐに不動の地位を築き72/73シーズンにはリーグ優勝とUEFAカップ優勝の2冠を達成、その後の70年代黄金期を迎える中主将として重要な役割を果たして絶大な人気と信頼を築いていく。在籍13シーズンの中でリーグ優勝4回、FAカップ優勝1回、UEFAカップ優勝2回、更に76/77、77/78シーズンのチャンピオンズ・カップの連覇も達成、主将としてビッグイヤーを掲げる事に成功した他、1977年FWAによるリーグ最優秀選手賞に選出された。また1980年にはサッカーへの貢献度が認められ、王室よりOBE(大英帝国四等勲爵士)が授与されている。1979年よりウォルバーハンプトンに移ったが、ここではリバプール時代に手に入れる事が出来なかったリーグカップのタイトルを獲得、1981年より加入したロザラムFCではプレーイングマネージャーとして存在感を示している。

代表としてはUー21代表として8試合に出場、1969年11月5日オランダ戦にてフル代表デビューを果たし通算62試合に出場したが当時チームを指揮したアルフ・ラムゼイの元ではファーストチョイスとは言えず1970年W杯ではメンバーに選ばれながら出場機会に恵まれる事はなかった。1974年に監督に就任したジョー・マーサーの元では主将として活躍、23試合でキャプテンも務めたが、この頃イングランド代表は低迷期を迎え、大きな舞台とは無縁となってしまったのは残念であった。

引退後はTV解説者としても活躍し現役時代と変わらない人気を得たが2003年、脳腫瘍のため長期に渡る闘病生活に入り、2004年11月9日、57才の若さで帰らぬ人となって人々に衝撃を与えた。リバプール70年代黄金期、脚光を浴びたのはキーガン、ダルグリッシュ、マクダーモット等多彩な攻撃陣であったが、その頃を知る人々は口を揃えて言う。「歴代の中でもレッズのユニフォームが最も似合っていたのはヒューズである」と・・。この言葉だけ見ても、どれだけファンに愛されていたか容易に想像出来るだろう・・・。

(05/05/08 Created)
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