Yasuhito ENDO
遠藤保仁 | ||||||||||||||||||
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中盤の底から優れた展開力でチームを操り、その右足から放たれるFKのレベルも非常に高い。タイミングの良い飛び出しから強烈なミドルも持味だがボランチとしての守備力も申し分なく、頭脳的でいて安定したプレーを見せる。 地元鹿児島では遠藤3兄弟(拓哉、彰弘)の末っ子として、すでに格の違いを見せ、地元櫻島中学卒業後に入学する名門鹿実高では全国選手権優勝に貢献する。1998年、横浜フリューゲルスに入団し、1998年3月21日Jリーグ開幕戦となった横浜ダービーにてJデビューを飾り、加入1年目にして16試合に出場し4得点を記録、この年の天皇杯では不出場ながら優勝も経験した。しかし、チームの財政難からチームはこのシーズンを持って消滅、これに伴い京都へ移籍し主力として経験を積んだ後2001年にガンバ大阪へ加入する事となる。ガンバ大阪加入後は更に真価を発揮、チームに不可欠な存在に成長すると2003年より3年連続してJリーグベスト11に選出、2005年には33試合に出場し10得点とゴールを量産してクラブ祈願のJ初制覇に大きく貢献して見せた。 代表レベルでも各年代で活躍、準優勝で日本を沸せた1999年ワールドユースのメンバーとして活躍したのも知られる所である。トルシエ体制ではA代表のピッチに立つ事はなかったが、ジーコ体制となった2戦目2002年11月20日アルゼンチン戦にて初キャップを刻んだ。海外組と国内組の融合を計るジーコ監督の元、福西、小笠原等と共に着実に監督の信頼を勝ち得る事に成功し、2004年アジアカップでは5試合に出場し優勝に貢献、(決勝は準決勝バーレーン戦での退場から不出場)2006年W杯メンバーにも選出された。 (06/05/25 Created)(06/07/28 Last updated)Presented by SHOW football Island | ||||||||||||||||||