EUSEBIO
エウゼビオ | ||||||||||||||||||||||
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60年代から70年代にかけベンフィカにて素晴らしい輝きを放った「黒豹」の異名を持つポルトガル史上最高のストライカー。その絶対的な身体能力による瞬発力、跳躍力に加え不可能な角度から決める強烈なシュートは無数のゴールを生み出し、ポルトガルリーグ7回チャンピオンズカップで3回、そして1966年ワールドカップと数多くの得点王のタイトルを獲得し、その存在を世界中に知らしめた。 西アフリカのポルトガル領、モザンビークで生まれ育ったエウゼビオは地元のクラブを経て、19歳よりベンフィカに移籍をする。ベンフィカでのデビュー戦となったパリのトーナメント戦にて、ペレが率いるサントス相手にハットトリックを決め、鮮烈な欧州デビューを飾った。1962年にはチャンピオンズカップ決勝戦にてディ・ステファノ、プスカシュ、ヘント等のいるレアル・マドリードを相手にその圧倒的な能力を見せつけ、PKを含む2得点を記録、ベンフィカにチャンピオンズカップ2連覇をもたらした。その後63年にはミラン、65年にはインテル、68年にはマンチェスター・Uに惜しくも決勝で敗れるが、ミラン戦で先制点を決めるなどベンフィカを欧州の舞台で常にリードし続けた。国内リーグではベンフィカを11回の優勝に導き、カップ戦制覇すること5回。自身は5シーズン連続得点王を含む7回の得点王に輝き、内2回は40得点を超えるゴールを記録、欧州得点王に与えられるゴールデンブーツ賞を受賞した。1965年にはバロンドールを受賞し、ポルトガル国内でも1970年より始まったポルトガル年間最優秀選手賞の初代受賞者となっている(通算2回受賞)。 エウゼビオは1961年にポルトガル代表でデビューを果たしている。10月8日のルクセンブルク戦にていきなり得点を決めると、その後コンスタントに得点を決め続け代表通算64試合41得点を記録、これは2005年10月にパウレタが塗り替えるまでのポルトガル代表最多得点記録でった。代表でのパフォーマンスは素晴らしかったが、中でもポルトガル代表を3位に導いた1966年W杯での北朝鮮戦は伝説として語り継がれている。グループリーグでポルトガルはブラジルを一蹴すると迎えた準々決勝北朝鮮戦。試合は開始27分で北朝鮮が3点をリードするという波乱の展開。しかしそこから続けざまに4得点を挙げポルトガルを準決勝に導いたのがエウゼビオである。試合は結局もう1点を追加したポルトガルが5−3で勝利をおさめた。準々決勝では大会チャンピオンになったイングランドに惜しくも敗れるも3位決定戦にてソビエト連邦を破ったポルトガルは3位入賞。エウゼビオはこの大会通算9得点を記録し大会得点王に輝いた。 33歳となったエウゼビオはベンフィカを退団するとアメリカへ渡るが膝手術等の影響によりかつての輝きを失いつつあった。その後メキシコ、カナダ、ポルトガル、アメリカを行き来する晩年を過ごし1978年、36歳で現役を引退した。近年世界最高の中盤を誇り若手の台頭著しいポルトガルが次に望むものはエウゼビオに並ぶストライカーであろう。 (01/03/15 Created)(06/08/22 Last updated)Presented by SHOW , collaboration is LEVEL-K football Island | ||||||||||||||||||||||