Just FONTAINE
ジュス・フォンティーヌ | ||||||||||||||||||
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1958年ワールドカップスウェーデン大会、この大会で1大会13得点というワールドカップ史上最高の記録を打ち立てたのがフランス人ストライカーのフォンティーヌである。フォンテーヌはその敏捷さと瞬発力を武器にゴールを量産。この記録は半世紀過ぎた今尚、誰にも破られていない驚異的な記録である。 フランス人の父とスペイン人の母の間に生まれ、7人兄弟の1人として育つ。フォンティーヌが生まれ育ったのはモロッコのマラケシュ。当時モロッコはフランスの保護国であり、モロッコのタバコ工場で働く父の仕事の都合でフォンティーヌはサッカーキャリアをここでスタートさせる。フォンティーヌは16才の時にUSMカサブランカとサインを交わし、ここで3シーズンを過ごす。その後53/54シーズンより祖国フランスのクラブ、ニースに移籍をするとこのシーズンのカップ戦を制覇し、55/56シーズンにはリーグ優勝にも貢献する。フォンティーヌの疑いの余地のない素晴らしい才能は、当時フランスで全盛を極めたスタッド・ド・ランスの目にとまることとなる。当時、ランスの絶対的なエース、レイモン・コパがレアルへの移籍が決まっておりフォンティーヌはその後釜として56/57シーズンよりランスへ加入すると、ここでその素晴らしい攻撃力を爆発させる。移籍後4シーズンで116得点と驚異的なペースでゴールを量産すると、2度の得点王を獲得、57/58シーズンにはカップ戦とのダブルを含む3度のリーグ制覇に貢献したのだった。58/59シーズンチャンピオンズ・カップでは大会得点王となる10得点を挙げチームを決勝の舞台に導いたが、皮肉にもレイモン・コパの在籍するレアルの前に敗れている。 代表では、1953年12月27日のワールドカップ地区予選、対ルクセンブルク戦にてハットトリックを決め華々しい代表デビューを飾ると迎えた1958年ワールドカップスウェーデン大会にてその伝説的な記録を残す。当時フォンテーヌはフランス代表においては控えに甘んじていたがワールドカップ直前、レギュラーだったレネ・ブリアールの怪我によりフォンテーヌに急遽出番が回ってきたのである。ワールドカップに出場したフォンテーヌはコパとの素晴らしい連携を見せ、素晴らしい記録へと走り出した。グループリーグのパラグアイ戦(3点)、ユーゴスラビア戦(2点)、スコットランド戦(1点)。準々決勝北アイルランド戦(2点)に勝利をすると準決勝では、当時若干17才のペレ率いるブラジル(1点)と対戦。試合は負けてしまうがフォンテーヌはブラジルの大会無失点記録を破るゴールを前半9分に決めている。そして3位決定戦のドイツ戦(4点)にてフォンテーヌは6試合で13得点という素晴らしい記録をワールドカップ史に刻んだのであった。この記録は1974年大会で西ドイツのG・ミュラーに破られるまでワールドカップ通算最多得点記録でもあった。 その後フォンテーヌは度重なる足の怪我により1962年7月、わずか28歳で早すぎる引退を迎えている。彼のキャリアは非常に短いものであったが、ワールドカップの記録だけでなく、その短いキャリアの中でのリーグ得点王2回、代表通算21試合30得点の記録を見ても分かる通り、もっとキャリアが続いていればより多くの記録と栄冠を手中に収めていたに違いないと思われる。 (01/03/15 Created)(03/06/09 Last updated)Presented by SHOW , collaboration is LEVEL-K football Island | ||||||||||||||||||