Paulo FUTRE
パウロ・フットレ | ||||||||||||||||||||||
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シルクのような技術と、俊敏かつ鋭いドリブルを武器に見る者を魅了、若い頃から将来を嘱望されたスタープレーヤーであり、86/87シーズンチャンピオンズ・カップ獲得時には「ヨーロッパのマラドーナ」とまで称された。スペイン代表スタープレーヤー、ラウルが少年時代に憧れた選手でもある。 スポルティング・リスボンの下部組織で育ったパウロ・フットレは弱冠17才でトップデビューを果たすが翌シーズンよりライバルチームであるポルトへ移籍し話題となる。移籍後、その能力を大きく開花させ84/85、85/86シーズンのリーグ連覇に大きく貢献、更に86/87シーズンチャンピオンズ・カップでは強豪バイエルン・ミュンヘンを破り欧州王者のタイトルをも獲得、その名は全世界へ知れ渡り、この年のバロンドール投票ではフリットに次ぐ2位に選出された。この活躍から87/88シーズンよりスペイン名門アトレティコ・マドリードへ加入、タイトルこそ90/91、91/92シーズンのスペインカップの2連覇のみであったが、その技術と芸術性によってファンを魅了、この頃、チームのユースに所属していたラウルのアイドルでもあった。その後、母国チームのベンフィカへ移籍、ポルトガル3大チームに所属した数少ないプレーヤーの1人でもある。1996年12月、深刻な膝の大怪我を負ってしまい、一時期は引退を決意するが、リハビリの後古巣にて再起、全盛期のプレーを見せる事は出来なかったのは残念であったが、キャリアの最後は横浜フリュ−ゲルスに在籍し16試合3得点を挙げてその現役生活に幕を閉じている。 ポルトガル代表としては1983年に9月21日、弱冠17才でデビューし1986年ワールド杯でも出場を果たした。代表通算41試合6得点。 (02/02/28 Created)Presented by SHOW football Island | ||||||||||||||||||||||