GARRINCHA
ガリンシャ | ||||||||||||||||||
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ガリンシャ、それは神の領域にあったと言われるドリブルによって世界を驚愕させた元ブラジル代表伝説的ストライカーであり、その技術はあのペレをも凌いだとされる。子供の頃にかかった小児麻痺の影響から片足が短いというハンデを持っていたが、これは対峙する相手プレーヤーに対して神が与えたハンデと言っても過言ではなかった。 ペトロポリス等のアマチームでプレーした後19才で名門ボタフォゴへ加入、入団テストの際、当時世界最高の左サイドと称されたニウトン・サントスを子供扱いし、その実力を認めさせている。ここでその才能を遺憾なく発揮、ボタフォゴの一時代を築くと1955年9月18日チリ戦において代表デビューも飾った。1958年ワールド杯、この大会でペレと共にメンバーに入るも当時2人のポジションにはジョエルとマゾーラ(アルタフィーニ)がいたため初戦はピッチに立つ事で出来ず続く2戦目も2人ともベンチに座った。(欠場理由に初戦前日の夜更けに飲酒しているのを見つかったという説もある。)しかし、この2戦目イングランドを相手に0ー0の引き分けに終わったため、当時代表を率いたビセンテ・フェオラ監督は3戦目となったソ連戦にて2人を先発起用、この時の活躍から残り試合すべてに出場を果たし、母国に初のワールドカップをもたらしたのである。この時、「6試合勝っただけで優勝なんて簡単過ぎる」と有名な発言をしている。そして4年後の1962年大会はガリンシャの大会であった。大会中に怪我で離脱したペレの不在を感じさない所か、それをも凌ぐ存在感でチームを牽引し、自身も4得点を挙げてワールド杯連覇の偉業に貢献してみせた。代表通算41試合(非公式試合を含めると50試合を超える)中、負けたのは1966年ワールド杯ハンガリー戦の1試合のみ、いかに当時のブラジル代表に不可欠であったがうかがえる所だろう。 そんなガリンシャもアルコール依存症には勝てず、1983年1月21日早朝、49才で早すぎる死を迎えたが、それもまた、「ガリンシャらしさ」ゆえの生涯であったのかもしれない。 (01/03/15 Created)(03/08/18 Last updated)Presented by SHOW football Island | ||||||||||||||||||