Paul GASCOIGNE
ポール・ガスコイン | ||||||||||||||||||||
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小太りな身体つきからは想像出来ない繊細なドリブルとパステクニックを備えガスコインのパスによって数多くのストライカーが成功を収めた。アルコールによって選手生命を狂わせてしまった事を差し引いても人々の心に強烈な記憶を残した元イングランドのスタープレーヤーである。愛称「ガッザ」。 ニューカッスル、ゲイツヘッドに生まれたポール・ガスコインは1980年に地元名門ニューカッスルのユースチームへ入団、ここで育成された後17才でプロ契約を果たし1985年4月13日QPR戦にてリーグデビューを飾る。翌シーズンよりチームの中心的存在となり、リーグ、カップ戦合わせ通算107試合25得点の活躍を見せると、87/88シーズンにはPFA(プロサッカー選手協会)主催の若手最優秀賞にも選出された。マンチェスター・U等各クラブが獲得に動き、テリー・ヴェナブルズの熱烈なラブコールを受け、当時移籍金としては破格の200万ポンドでトッテナムへ引き抜かれる。ここでもリネカーとの素晴らしいコンビでファンを魅了し90/91シーズンにはFAカップ優勝のタイトルに大きく貢献した。しかし、この大会の決勝戦において右膝靱帯損傷という大怪我を負い約1年間をリハビリに費やす事となる。怪我の癒えた後クラブの経営難によりイタリアへ移籍、ここでは怪我の影響をひきずり思うようなプレーは出来なかったが、その後加入したレンジャーズにて移籍初年度から14得点とゴールを量産、リーグ優勝に加え、ガスコイン自身もリーグ最優秀選手に選出されている。翌年にはリーグ、国内カップの2冠達成に貢献し完全復活を印象付けたが、この頃からアルコールによる悪影響がプレーにも災いするようになる。97/98シーズン途中、3月に母国へ復帰するも全盛期のプレーは影を潜め、現役にこだわり移籍した中国リーグではわずか4試合に出場し退団、アルコール依存症克服のため渡米した後、イングランド4部リーグのボストン・ユナイテッド選手兼監督となったが半年も経たず退団している。 代表としてはトッテナムに移籍して間もない1988年9月14日デンマーク戦にてデビューを果たし通算57試合10得点を記録している。1990年W杯ではレギュラ−として活躍したが、準決勝西ドイツ戦、延長戦にまで及ぶ激闘中、ガスコイン自身にとっては痛恨の警告を受けてしまう。この警告により、たとえチームが決勝へ進めても累積警告で決勝の舞台に立てない事を悟り、人目もはばからず大泣きした姿は、見てる者の胸をうった。結果的にPK戦の末チームは敗退したが、この大会でガスコインの名は世界的に知られる事となったのである。1994年W杯は欧州予選で敗れ、1998年W杯はアルコールの影響からメンバーから外され、ガスコインにとってのW杯はこの1990年大会のみであった。それでも1996年欧州選手権グループリーグスコットランド戦では後世まで語られるであろうスーパーゴールを披露している。 ピッチ内外で問題児的存在でもあり、キャリアの終盤はアルコールに苦しみけしてキャリアを通して大成功を収めたとは言いがたい・・しかし、今尚、ガスコインを愛するファンを数多く、自身の言葉でもある「楽しむ事を忘れるな」通りのプレーは人々の記憶に深く刻まれているのである。 (01/03/15 Created)(05/03/25 Last updated)Presented by SHOW football Island | ||||||||||||||||||||