Dietmar HAMANN
ディトマール・ハマン | ||||||||||||||||||
| ||||||||||||||||||
| ||||||||||||||||||
|
優れた状況判断と中距離から繰り出される正確なパスを駆使して中盤の底からゲームメイクするボランチ。守備力も申し分ない能力を持ち合わせ欧州屈指のボランチとして地位を確立している。 93/94シーズン、名門バイエルン・ミュンヘンにてトップデビューを果たしたディトマール・ハマンは、あのベッケンバウワーに最高の評価を与えられる程のポテンシャルの高さを見せ、出場機会は少ないながらも、このシーズンのリーグ制覇を経験、97/98シーズンには主力として自身2度目のリーグ制覇を達成すると翌シーズンよりニュー・カッスル(プレミア)へ加入する。対リバプール戦にて負傷し、戦線離脱を余儀無くされたが復帰後はその才能を存分に発揮、攻撃面でも4得点を挙げるなどの活躍を見せた。この活躍が当時のリバプール監督、ウリエの目にとまるとアーセナルとの獲得争いの末、リバプールへ加入、00/01シーズンのカップ戦3冠に不可欠な選手であったのは言うまでもない。その後も主力として活躍し04/05シーズンチャンピオンズ・リ−グ決勝ミラン戦では前半終えて0ー3と苦しい状況を打開すべく後半頭から投入されるとチームは前半とは見違える躍動感を見せ、同点に追い付く事に成功、PK戦では1番手のキッカーとして成功させ優勝の最大の原動力となったのである。 代表デビューは1997年11月15日の南アフリカ戦。その後は代表に定着し1998年ワールド杯にも全5試合に出場している。そしてプレーヤーとしてピークで迎えた2002年ワールド杯、決勝トーナメント1回戦パラグアイ戦を累積警告で不出場となったが残る6試合すべてにフル出場、準優勝に大きな役割を果たした。 2004年欧州選手権にも全3試合に出場したが、その後監督に就任したクリンスマンの元では積極的な若手器用の煽りを受けわずか1試合の出場しか果たせず、母国開催となった2006年ワールド杯メンバーからも漏れた結果代表引退を決意、通算59試合5得点で代表キャリアを終えている。余談ではあるが、脳腫瘍という難病を克服した選手でもあり同じ病気を持つ人々に、大きな勇気を与え続けている。 (02/01/30 Created)(06/10/01 Last updated)Presented by SHOW football Island | ||||||||||||||||||