Colin HENDRY
コリン・ヘンドリー | ||||||||||||||||||||
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強靱な身体と高さ、そして絶対に諦めない強い精神力を持ってチームを牽引、27才と遅咲きのデビューとなったスコットランド代表においても長期に渡って精神的支柱、そしてディフェンスの要として君臨した闘将である。 母国スコットランドクラブダンディー・Uにて83/94シーズンにプロデビューを果たしたコリン・ヘンドリーは攻撃的なポジションもこなし86/87シーズン途中より当時イングランド2部リーグにあったブラックバーンへ引き抜かれる。ここでの活躍から89/90シーズンより1部リーグ(現プレミアリーグ)のマンチェスター・シティへ引き抜かれ1989年11月18日ノッティンガム・フォレスト戦にてデビューを果たす。ここで主力として活躍した後、1991年10月母国英雄K・ダルグリッシュがブラックバーンの監督に就任した事で同年11月、古巣ブラックバーンへ戻りさっそくプレミア昇格の原動力となって活躍、翌シーズンにはプレミアリーグ4位、翌93/94シーズンにはリーグ2位の好成績に大きく貢献する。この時期マンチェスター・Uがリーグ連覇を達成し黄金期を迎えていたが94/95シーズンには1ポイント差でそのマンチェスター・Uを振りきりクラブ祈願のプレミアリーグ初制覇を達成、このシーズン38試合に出場しDFながら4得点を挙げたヘンドリーの貢献度は容易に想像が付くだろう。その後加入したレンジャースでも母国リーグ優勝を経験し、キャリアの最後はイングランド2部ブラックプール、3月18日カーディフ戦を最後にキャリアの幕を閉じた。 コリン・ヘンドリーの代表デビューは1993年5月19日エストニア戦。27才と遅咲きながらその後8年に渡ってチームを牽引、1996年欧州選手権、1998年W杯にも出場を果たし、その後主将としても存在感を示した。2002年W杯予選序盤戦でも活躍しチームも好調を維持していたが2001年3月に行われ自身の2得点で快勝したW杯予選サンマリノ戦にて犯したファウルから数試合の出場停止処分、これが要因の1つとなりチームもその後下降線を辿ってW杯本大会出場を逃してしまう。また、このサンマリノ戦がヘンドリー自身にとって代表キャリア最後の試合となってしまったのも不本意であっただろう・・・。代表通算51試合3得点。 (04/03/21 Created)Presented by SHOW football Island | ||||||||||||||||||||