Jupp HEYNCKES

ユップ・ハインケス

ユップ・ハインケスのフォト
 フルネームヨゼフ・ハインケス
 国籍ドイツ(西ドイツ)
 生年月日1945年5月9日
 出身地メンヘングラッドバッハ
 ポジションFW
 身長・体重181cm・77kg
 個人タイトルなし
 ワールド杯1974年優勝
所属クラブ
1962-68ボルシア・メンヘングラッドバッハ
1968-70ハノーファー96
1970-78ボルシア・メンヘングラッドバッハ

ブンデスリーガがスタートして間もない70年代、バイエルン・ミュンヘンと並び黄金時代を築いたボルシアMG不動のストライカーとして君臨したのがユップ・ハインケスである。代表レベルではゲルト・ミュラーの陰に隠れ目立った活躍は出来なかったが、クラブレベルでは優れた得点力を発揮し歴代3位となるブンデスリーガ通算220得点の記録を残している。(1位G・ミュラー365得点、2位K・フィッシャー268得点。)

1963年、西ドイツにおいてプロリーグが開幕、2部チームからスタートしたボルシア・メンヘングラッドバッハでキャリアをスタートさせ64/65シーズンに23得点を挙げて2部リーグ優勝に貢献し翌65/66シーズン8月14日B・ノインキルヘン戦にて1部リーグデビューを飾った。ネッツァーの華麗なるゲームメークとハインケスの決定力によってチームは強豪の一角に数えられるようになるが、プロリーグ創設後初優勝を飾る69/70シーズンにはハノーファー96へ移籍していたため美酒に酔う事は出来なかった。ハノーファー96ではフィットせず不満の残る3シーズンを過ごしたが70/71シーズンより古巣へ復帰すると水を得た魚のような復活を遂げる。復帰1年目に19得点を挙げリーグ連覇に貢献するとその後もゴールを量産、73/74シーズンには33試合30得点で得点王となり翌シーズンにも27ゴールで2年連続の得点王獲得、このシーズンからのリーグ3連覇に加え74/75シーズンのUEFAカップでは優勝も成し遂げるが、決勝トゥエンテ戦でハットトリックを達成するなど、その貢献度は計り知れないものであった。(ブンデスリーガ通算369試合220得点)

クラブレベルでは絶大な存在感と決定力を見せつけるハインケスであったが、時を同じくして西ドイツ代表にはそれをも凌ぐ怪物が存在した・・「爆撃機」の異名で知られるゲルト・ミュラー・・後に代表通算62試合68得点という西ドイツ代表最多得点記録を樹立するゴールゲッターである。ハインケスの代表デビューとなった1967年2月22日モロッコ戦において初得点までも記録しながら、自身より4ケ月先にデビューしたミュラーの壁は高く、代表試合の度にゴールを積み重ねるミュラーの前ではハインケスの存在は、引き立て役にしか過ぎなかった。1972年欧州選手権優勝メンバーに名を列ねるも注目を浴びたのは得点王となったミュラーであり、1974年W杯でも優勝メンバーとなるもハインケス自身はグループリーグ2戦目の負傷もあり再び主役はミュラーであった。時が違えば、代表においても一時代を築くだけの力があっただけに残念な所ではあるが、クラブレベルの記録を見れば、けして平凡なストライカーでなかったのは容易に想像が付く所、現役引退後は監督として名を挙げ97/98シーズンにはレアル・マドリード32年振りのチャンピオンズ・リーグ制覇を成し遂げている。

(07/02/12 Created)
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