John CHARLES
ジョン・チャールズ | ||||||||||||||||||
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ビッグジョンの愛称で知られ、大柄ながら俊敏であり、強さ、高さ、速さ、そして決定力とストライカーとしての資質をすべて兼ね備えた元ウェールズ代表。2004年、残念ながらこの世を去ったが、母国は元より自身が所属した経歴のあるイングランド、イタリアにおいて今尚英雄として讃えられるスタープレーヤーである。 地元スウォンジー・タウンにおいてキャリアをスタートさせた後1947年12月、当時2部リーグにあったリ−ズ・Uへ引き抜かれる。48/49シーズンにトップデビューを飾り3試合に出場、翌49/50シーズン、1949年11月12日プリマス・アーガイル戦にてPKによるリーグ初得点(決勝点)を記録する。51/52シーズンまでDFとしてプレーしていたため、ゴールを量産する事はなかったが、1953年にフォワードへコンバートされると持ち合わせた得点能力を開花させ26得点を記録、翌53/54シーズンには42得点とゴールを量産し2部リーグ得点王となった。55/56シーズンにはチームを2部リーグ2位に導き1部リーグ(現プレミア)昇格に貢献、更に1部昇格初年度には38得点を挙げ得点王のタイトルをも手に入れたのである。チームのアイドルとなったプレーヤーを、そう易々と他クラブへ売る事はないと思われたが、1956年10月ホームスタジアムの火事により多大なる負債を負った事で、当時世界最高額となる6万5千ポンドにてセリエA強豪ユベントスへ譲渡される。セリエAでも1年目から28得点で得点王に輝きスクデット獲得に貢献、その後もシヴォリ、ボニペルティとのコンビで破壊的な攻撃力を見せて在籍5シーズン中3度のリーグ優勝、2度のコパ・イタリアのタイトルに貢献し、1958年バロンド−ル投票において4位に選出されると翌年には3位に選出されディスティファノやレイモン・コパ等当時世界を魅了したスーパースターと顔を並べる事に成功する。その後短期間古巣へ戻り再びローマへ移籍、セリエA通算97得点の記録を残した。1963年より母国クラブ、カーディフ(イングランド下部リーグ)、ヒアフォードでプレーし現役を引退した。また引退から約30年過ぎた2001年、ファンの署名運動もあり王室よりCBE(大英帝国三等勲爵士)が授与されている。 ウェールズ代表デビューは1950年3月8日北アイルランド戦。18才と71日での代表デビューは1991年にライアン・ギグスが塗り替えるまでの最年少デビュー記録であった。現在までウェールズにとって唯一となる1958年W杯では初戦ハンガリー戦にて貴重な同点弾を記録するなどベスト8進出の原動力となって活躍した。通算38試合15得点の記録を残しているがデビュー当時からフォワードとしてプレーしていれば、その後I・ラッシュが樹立させる28得点以上のゴール数を記録していただろう。 (05/05/10 Created)Presented by SHOW football Island | ||||||||||||||||||