Vladimir JUGOVIC
ウラディミール・ユーゴビッチ | ||||||||||||||||||||||||
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「戦術的に世界最高なものを持っている。」イタリア名将トラパットーニ監督に、そこまで言わせた選手でありトップ下からウィング、ボランチに至るまで中盤なら全てのポジションを器用にこなすユーティリティプレーヤーとして活躍、出場すれば常にその力を発揮するという安定感を示した。元ユーゴスラビア代表MF。 90年代初頭、サビチェビッチ等と共にレッドスター黄金時代を築き、在籍3シーズンすべてにおいてリーグ優勝、90/91シーズンにはチャンピオンズカップを制しその名を世界中に知らしめる。1991年12月8日に開催されたトヨタカップでは南米王者のコロコロを相手に2得点の大活躍、世界チャンピオンの称号と同時にユーゴビッチ自身もMVPを獲得した。1992年よりセリエAサンプドリアへ引き抜かれ同年9月6日ラツィオ戦にてセリエAデビュー、以後レギュラーとして活躍しセリエ初挑戦のシーズンを通算33試合9得点と能力の高さを証明して見せ、2シーズン目にはチームのコパ・イタリア優勝、そしてリーグ3位躍進に大きな役割を果たし欧州屈指のMFとして地位を確立させたのである。1995年には強豪ユベントスへ引き抜かれると、このシーズンのスクデットは逃すも自身2度目のチャンピオンズ・リーグ制覇を達成、決勝の舞台では途中出場ながら素晴らしいプレーを見せれば、PK戦では4人目のキッカーとしてこれを成功させている。翌シーズンには自身初のスクデットも手中に収め97/98シーズンより加入したラツィオでもコパ・イタリア優勝に貢献、これまで在籍したすべてのクラブにてあらゆるタイトルに貢献している。1998年、当時ラツィオ指揮官であったエリクソン監督は残留を強く希望するも数々の成功を収めたイタリアから新たなる挑戦を決意する形でサッキ監督率いるアトレティコ・マドリードへ渡るが、怪我の影響から17試合の出場にとどまりチームも13位に低迷、翌シーズンよりインテルにてセリエA復帰を果たす。その後はユベントス時代の盟友デシャン率いるモナコ、そして03/04シーズンよりオーストリアリーグへと活躍の場を移している。シーズン終了後、中東クラブから莫大な移籍金でオファーを受けるも金銭的な移籍を拒否、ドイツ2部リーグの小チームに移籍し人々を驚かせている。 ユーゴビッチの代表デビューは1991年8月8日、アオスタで行われた旧チェコスロバキア戦。国内紛争から国際舞台から閉め出された経験は苦いものであったが、その後制裁が解けると1998年ワールド杯、2000年欧州選手権にてベスト16進出に大きく貢献している。代表通算41試合3得点。 余談だが1991年トヨタカップにてMVPを獲得した際「勝利はチーム全員のもの」と副賞として受賞した高級車を売り、その金銭を皆で山分けしたらしい・・。 (01/04/27 Created)(05/08/15 Last updated)Presented by SHOW football Island | ||||||||||||||||||||||||