JUNIOR
ジュニオール | ||||||||||||||||||
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歴代ブラジル代表左サイドバックの中でもニウトン・サントス、ロベルト・カルロスに並ぶ世界最高クラスのスタープレーヤーである。守備能力は言うまでもなく、最大の武器である果敢なオーバーラップからの攻撃参加は当時のブラジル代表、そしてクラブチームにおいても不可欠な存在であった。その特性を活かしMFとしてもプレーしている。 少年時代よりフットサルとビーチサッカーでテクニックを身に付けたジュニオールは自身の応援するチームであるフルミネンセの入団テストを受けるも落選、その後フラメンゴの入団テストに合格する。当時はMFとしてプレーしていたが、サイドバックにコンバートされた事で世界クラスの名声を手中にする事となる。1974年11月オペラリオ戦にてプロデビューを果たし州選手権優勝に貢献、翌年からは代えのきかない選手として地位を確立させた。1980年にブラジル全国選手権でチーム初の優勝を達成、更にこの年のリベルタドーレス杯も制し南米最優秀選手投票ではチームメイトであったジーコ、そしてボカに所属していたマラドーナに次ぐ3位に選出されている。また、同年トヨタカップでは欧州覇者リバプールを破り世界1の称号も手中にしている。1982年、1983年とブラジル全国選手権連覇を果たした後イタリアへと渡るが、ここでも主力として活躍、タイトルこそ手に入れる事は出来なかったが中盤にポジションを移しFKから得点も記録するなどセリエA通算148試合18得点を記録している。1989年より古巣フラメンゴに戻り39才まで現役を続行、キャリアの最後まで主力としてプレーし1991年にプラカール誌選定のリーグベスト11に選出、1992年には自身4度目のブラジル全国選手権制覇に貢献し自身もリーグ最優秀選手に選出されている。1993年を最後に現役を引退、フラメンゴ通算857試合(73得点)はクラブ最多記録となっている。現役引退後は監督としても手腕を振うと同時にビーチサッカーでは現役選手として数々のタイトルを手中にしている。 国際Aマッチ代表デビューは1979年5月17日パラグアイ戦。タイトルに恵まれる事はなかったが、「黄金の中盤」で名高い1982年ワールド杯メンバーの中で彼等に見劣りせぬプレーでファンを魅了、1986年ワールド杯では中盤にポジションを移し全5試合に出場している。大会後代表を離れたが1992年4月15日フィンランド戦にて38才で代表復帰、人々を驚かせたがリーグ戦での活躍を見れば当然の代表復帰であったのは言うまでもないだろう。同年12月ドイツ戦を最後に代表を引退、通算70試合に出場した。(公式試合でないものを含めると通算88試合(注:代表キャップは情報元によってかなりの違いがあります)) (08/03/11 Created)Presented by SHOW football Island | ||||||||||||||||||