Mateja KEZMAN
マテヤ・ケジュマン | ||||||||||||||||||||
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その驚異的なスピードと素晴らしい得点感覚によってゴールを量産、両足から正確にゴールを挙げる技術は世界でも屈指の能力を持つ。決定的なラストパスからチャンスメークする事も出来る万能型のストライカーでもある。 少年時代、名門パルチザン・ベオグラードに所属しながらラドニキ・ピロト、ロズニカ、スメデレヴォとレンタルで渡り歩き98/99シーズンにパルチザン・ベオグラードへ復帰。ここですぐに優勝を経験すると、翌シーズンには28ゴールでリーグ得点王を獲得する。この活躍が認められ数々のクラブによる獲得合戦の末にオランダ名門PSVへ移籍し初年度からその能力を発揮、24得点をあげてオランダリーグ得点王を獲得し、このシーズンのリーグ優勝に貢献した。翌シーズンには新加入のフェネホールとのコンビが合わず通算15得点と不発に終わったが02/03シーズンには再び高い決定力を見せ通算35得点とゴールを量産、覇権奪回に大きな役割を果たすと同時に自身も2度目の得点王に加え、このシーズンのオランダ最優秀選手に選出された。03/04シーズンにも3度目となる得点王を獲得しシーズン終了後チェルシーへ引き抜かれたが、開幕当初の不振から信用を失いレギュラーを獲得するには至らず、このシーズンのリーグ優勝はケジュマン自身にとってそれほど重要な物では無かったと思われる。05/06シーズンより出場機会を求めスペインへ渡ったがオランダで見せたパフォーマンスには程遠く、現在はトルコリーグにて再起をかけ奮闘中である。 代表デビューは2000年5月25日中国戦。2000年欧州選手権ではユーゴ代表として挑んだノルウェー戦において交代からわずか35秒後で退場という苦い経験、その後2002年W杯欧州予選フェロー諸島戦では代表初のハットトリックを達成するなど高いパフォーマンスを見せたが、本大会への出場が果たせなかったのは残念であった。その後「クラブと代表での大きな差」を理由に(サビチェビッチ監督との確執とも言われている。)2003年2月12日アゼルバイジャン戦を最後に代表引退を表明し23才での引退に周囲を驚かせた。しかし、その後ペトコビッチが新監督となると同年8月ウェールズ戦にて代表復帰、2006年W杯欧州予選では第7節リトアニア戦から4試合連続でゴールを記録するなどの活躍を見せて母国を2大会ぶりのW杯へ導き、本大会でも2試合に出場を果たしている。 (01/06/06 Created)(07/01/08 Last updated)Presented by SHOW football Island | ||||||||||||||||||||