KILY Gonzalez
キリ・ゴンザレス | ||||||||||||||||||
| ||||||||||||||||||
| ||||||||||||||||||
|
強靱な身体と精神力を武器に、左サイドにて攻守に渡って活躍、守備力もあるが、攻撃時の破壊力によって素晴らしい存在感を示す。元アルゼンチン代表左サイドのスペシャリスト。 アマチュアチームでプレーしていた父親の影響もあり、5才の時に地元の少年サッカーチームに入団する。以後、将来はプロサッカー選手になる事を決意すると両親の限り無い愛情によって、その夢を実現する。19才で地元プロチーム、ロサリオ・セントラルと1軍契約、1993年12月18日ヒムナシア戦にてトップリーグデビューを飾りすぐに主力として活躍、2年後には欧州強豪レアル・マドリードからオファーが届く程の素晴らしいポテンシャルを見せて活躍した。結局、欧州移籍には至らなかったが、当時ボカでプレーしていたマラドーナの誘いを受けボカに加入すると、ベロンと共にその才能を更に開花させ翌年に欧州移籍を実現させる。サラゴサにて左サイドで抜群の存在感を示し活躍した後99/00シーズンよりバレンシアへ移籍、この年より監督に就任したクーペル(後のインテル監督)の元、不動の左サイドハーフとして活躍、このシーズンのリーグ3位、チャンピオンズ・リーグ準優勝に貢献する。翌シーズン、再びチャンピオンズ・リーグのファイナリストとなるがPK戦の末、2年連続の準優勝に涙を飲んだ。01/02シーズンは、ヴィセンテの成長もあり、一時期レギュラーポジションを奪われるものの、実力でそのポジションを奪取、このシーズンのリーグ優勝に大きく貢献し、その実力の高さを証明して見せた。しかし翌02/03シーズンになると再びヴィセンテにレギュラーポジションを奪われ出場機会は減ると同時にベニテス監督との確執も噂されるようになり03/04シーズンより恩師クーペル率いるインテルへ引き抜かれる事となった。インテル加入後にも地位を確立させる事は出来なかったが2度のコパ・イタリア、05/06シーズンの暫定スクデットに貢献し2006年より古巣ロサリオ・セントラルへ復帰している。 1999年6月のメキシコ戦にて代表デビュー、同年に開催されたコパ・アメリカでも活躍し、主力メンバーとしての地位を築く。2002年ワールド杯南米予選では15試合に出場し、内10試合にフル出場、抜群の強さを見せて予選を突破したアルゼンチン代表において、不可欠なプレーヤーである事を証明して見せたが本大会ではまさかのグループリーグ敗退を屈した。2年後のアテネ五輪においてオーバーエイジ枠でメンバーに選出され全試合に出場、母国の金メダルに大きく貢献し格の違いを見せつけ、2006年ワールド杯予選でも11試合に出場し活躍したが若手を重要視するペケルマンの元でワールド杯メンバーからは外れる不運を経験している。 (02/3/05 Created)(06/08/18 Last updated)Presented by SHOW football Island | ||||||||||||||||||