Jurgen KLINSMANN
ユルゲン・クリンスマン | ||||||||||||||||||
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90年代、力強いプレースタイルに天性の得点感覚を兼ね備え、エリア内では抜群の輝きを見せた元ドイツ代表FW「ブロンドの隼」。優れた精神力の持ち主でもあり、ドイツ代表キャプテンとしてもチームを牽引、通算108試合47得点は共に代表歴代2位の記録である。 幼年時代からサッカーを始めたクリンスマンはTBギンゲン、ガイスリンゲン等のクラブで才能に磨きをかけた後、地元2部クラブキッカーズとプロ契約を果たす。83/84シーズンに2部リーグ得点王を獲得するなどの活躍を見せ翌シーズンに強豪シュツットガルトへ加入、1984年8月25日カイザースラウテルン戦にてトップリーグデビューを果たすと以後不動のストライカーとして多数くの得点を量産、87/88シーズンには19得点を挙げ得点王となりドイツ最優秀選手にも選出されると翌シーズンにはチームをUEFAカップ決勝に導いた。 89/90シーズンより活躍の場を海外に移し、90/91シーズンにシュツットガルトで成し得なかったUEFAカップのタイトルを獲得。海外でのタイトルは、このUEFAカップのみに終わっているがインテル95試合34得点、モナコ65試合29得点、そしてトッテナム56試合29得点のゴール数を見れば、いかに優れた得点感覚を持って存在感を示したか容易に想像がつき、ブンデスリーガでは通算221試合110得点、2試合に1得点の驚異的なゴール数もこれを証明している。94/95シーズン、プレミアリーグにおいて20得点を挙げプレミア最優秀選手に選出された後母国へ復帰、自身2度目のUEFAカップ、更にはリーグ優勝の栄冠に大きく貢献して見せた。 代表としてはUー16、Uー21西ドイツ代表として活躍した後1987年12月12日のブラジル戦においてフル代表デビュー、1988年ソウル五輪では銅メダルに貢献し同年欧州選手権にも出場を果たす。1990年ワールド杯において全試合に出場、3得点を挙げ優勝に貢献しその後1994年、98年と3大会連続で主力として君臨した。(ワールド杯通算17試合11得点)また、1992年欧州選手権では決勝にて伏兵デンマークの前に敗れるが1996年欧州選手権ではキャプテンとしてチームを牽引し優勝に貢献している。代表通算108試合48得点。 クリンスマンを語る上で、もう1つ特筆するならば、その私生活にある。ピッチの上での姿からは想像も付かない程、常に誠実であり心優しい人間であった。莫大な財産を手中にしても派手な生活を送る事はなくまた、世界平和のため、惜しみないチャリティー活動をする。イスラエル遠征にてナチスのユダヤ人犯罪の回顧に心から涙を流した話はあまりにも有名な話である。 引退後、アメリカへ移住し生活、学生チームオレンジ・シティ・ブルースターズにて名前を『ジェイ・ゴッピンゲン』(生まれ故郷から名をとった模様)に変えてプレー、もちろんプロへ復帰する事はなかったが、相変わらずの決定力を発揮してファンを喜ばせたらしい。また、指揮官としても有能振りを発揮し2006年母国開催のW杯ではチームを3位の好成績に導いている。 (01/03/15 Created)(06/01/08 Last updated)Presented by SHOW football Island | ||||||||||||||||||