Tatsuhiko KUBO
久保竜彦 | ||||||||||||||||||
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左足から放たれる強烈なシュート力と空中戦の強さを武器にする元日本代表ストライカー。身体能力が高く、柔らかさと力強さを兼ね備え、代表においても貴重な戦力として期待されたが、持病の腰痛がネックとなりW杯とは無縁となってしまっている。 福岡県朝倉群三輪町に生まれ、三輪小2年までは野球少年であったが左手小指を切断寸前の大怪我からグローブをはめられない事がきっかけでサッカーを始める。4年の時から本格的にサッカーを始め三輪中を経て筑陽学園高へ入学、1993年、1994年に福岡選抜で国体に出場している。卒業後の1995年にサンフレッチェ広島へ入団、これまでMFとしてプレーしていたが元日本代表広島のエースとして活躍した高木啄也の後継者としてFWへコンバート、入団2年目に背番号10番を受け継ぎ1996年4月3日清水戦にてJデビューを飾る。同年6月15日ナビスコカップ、ガンバ大阪戦にて公式戦初ゴールを記録、同年10月2日セレッソ大阪戦にてJ初ゴールを記録すると翌年よりエースストライカーとして不動の地位を築きデビュー3年目の1998年から2001年まで2桁得点を挙げる活躍を見せ2001年5月12日セレッソ大阪戦にて通算50得点を記録、これはJリーグ通算7000ゴールのメモリアルゴールでもあった。2002年、シーズン通算7得点と不振に陥りチームもJ2降格を経験、これがきっかけとなり、シーズン終了後、ジュビロ磐田との争奪戦の末横浜Fマリノスへ移籍、岡田監督の元でエースとしてシーズンを通し活躍するとファーストステージ優勝に貢献、続くセカンドステージでも劇的な逆転優勝の立役者となってクラブ初の完全制覇に多大なる役割を果たしたのである。また、このシーズンの通算16点は得点ランク5位、日本人の中では大久保と共に得点王となったが、内12得点は左足から生まれている。その後は怪我や腰痛に悩まされ出場機会が減り2007年シーズンより横浜FCへ電撃移籍するも思うような活躍が出来ず2008年より6シーズンぶりに広島へ復帰している。 1998年10月23日のエジプト戦でA代表デビューを果たす。そのプレーぶりからトルシエ代表監督に気に入られ毎度召集されるが、怪我が多く辞退することが多かったことが災いして2002年W杯メンバーから惜しくも落選してしまった。2003年4月16日の韓国戦で代表復帰を果たすが持病の腰痛から辞退。同年12月に開催された第1回東アジア選手権にて久々の代表復帰を果たし12月4日初戦中国戦にて代表初得点を記録、更に2点目も叩き出し2ー0完勝に貢献、日本代表エースともなれる能力がる事を証明して見せた。しかし、2004年末になると再び腰痛を発症、2006年に入りようやく代表復帰を果たしたが、その名前がW杯メンバーに刻まれる事はなかった・・・。 (03/12/05 Created)(08/01/23 Last updated)Presented by SHOW football Island | ||||||||||||||||||