Samuel KUFFOUR
サミュエル・クフォー | ||||||||||||||||||
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抜群の身体能力を活かしたディフェンスと、圧倒的な威圧感で相手を封じ込める元ガーナ代表DF。それほど大柄ではないが素晴らしい跳躍からヘディングにも秀出る。愛称サミー。 生まれ故郷のファントマス・クマシ、キング・ファイサル等のクラブでプレーしたクフォーはイタリアで開催された1991年Uー17世界選手権での活躍が認められトリノのユースチームへ引き抜かれる。約2年間ここで育成された後、当時バイエルンの下部組織コーチであったヘルマン・ゲルランドによって見い出されドイツへ呼び寄せられた。1994年10月29日シュツットガルト戦にてブンデスリーガデビュー、まだ若かった事もありニュルンベルグへレンタルされた他、バイエルンのBチーム等で経験を積み、やがてバイエルンにとって重要な選手として成長、チームの黄金期にその名を刻む事となる。通算6度のリーグ優勝他3度の国内カップ優勝、在籍中2度のチャンピオンズ・リーグ決勝の舞台でフル出場し1999年ロスタイムの悲劇と2001年欧州の頂点に立つ歓喜をピッチ上で経験している。また2001年トヨタカップでの決勝弾、大会MVPはクフォー自身が語る通り、キャリアの中で最高の瞬間であったと言えるだろう。 04/05シーズンより監督に就任したマガトの元で出場機会が激減しシーズン終了後の契約満了に伴いセリエAローマへの移籍を決意、2005年8月28日レッジーナ戦にてセリエAデビューを果たした。メクセスやキヴの素晴らしいパフォーマンスに圧され、常にレギュラーとはいかなかったが、出場の際には経験を活かしたプレーでDFラインに安定をもたらしている。わずか1シーズンでローマを離れたのは残念であったが、リヴォルノではDFリーダーとして活躍、07/08シーズンより一旦ローマへ戻ったが出場機会に恵まれずシーズン途中にオランダ強豪アヤックスへ加入している。 ガーナ代表としても若い頃からエリート街道を歩み、1991年Uー17世界選手権にて15才ながら4試合に出場し優勝に貢献、更に翌年バルセロナ五輪では銅メダルメンバーとなり、1993年ワールドユースでは準優勝メンバーとして脚光を浴びた。同年11月シエラレオネ戦においてフル代表デビューも飾り23才の頃にはガーナ代表キャプテンとして不動の地位を確立させていくが、2005年3月より監督に就任したデュイコヴィッチとの確執からしばらく代表を離れる事となる。しかし、W杯出場を決めたガーナ代表にとって不可欠な存在であるのは誰もが認める所となり2006年1月に復帰、W杯にも出場を果たした。1998年、99年ガーナ最優秀選手。 余談だが2003年1月、わずか15ケ月の愛娘の死という辛い経験を乗り越え、その1ケ月後ピッチに復帰、精力的にチームを助けリーグ優勝、国内カップの2冠に大きく貢献している (05/09/05 Created)(08/01/29 Last updated)Presented by SHOW football Island | ||||||||||||||||||