Michael LAUDRUP
ミカエル・ラウドルップ | ||||||||||||||||||
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80年代「ダニッシュ・ダイナマイト」の異名を持ったデンマーク代表にて、エルケーアと共に強力な2トップで前線を支配したストライカー。強力なシュートを武器にするエルケーアとは対照的に、華麗なドリブルやパスを駆使した想像力溢れるプレーで力を発揮。エルケーアがその攻撃力を遺憾なく発揮できたのも、彼の存在があってのものである。 元デンマーク代表FW、フィン・ラウドルップを父に持ったミカエルは、幼い時からサッカーに親しみ育つ。1982年、祖国デンマークのクラブ、ブロンビーにてトップデビューを果たすと同時に代表デビューをも果たす。ブロンビーではデビュー初年度に弱冠18歳で24試合15得点と大活躍、その活躍はあらゆる欧州のトップクラブの興味を惹きつけ、激しい争奪戦の末ユベントスに移籍を決める。イタリアに移籍後すぐにラツィオにレンタルで貸し出されるがすぐにチームにフィット。2シーズンとも30試合に出場し、チームにとって重要な役割を果たす。レンタル移籍を終え、85/86シーズンにユベントスに戻ると、その年にチームはスクデットを獲得。4シーズンを過ごした後スペインへ渡る。クライフ率いるバルセロナへ移籍したミカエルはこの地でキャリアの絶頂期を迎え、90/91シーズンからリーグ4連覇、、91/92シーズンにはチャンピオンズカップ、トヨタカップ、欧州スーパーカップの3冠を達成。その後クライフとの確執により移籍することとなったR・マドリードでもリーグ制覇を果たし、自身リーガ5連覇を成し遂げた。 代表デビューは18才の誕生日である1982年6月15日のノルウェー戦、このデビュー戦にて代表初得点を記録し、ポテンシャルの高さを証明する。1984年欧州選手権フランス大会でベスト4まで進出するとワールドカップ初出場は1986年のメキシコ大会。この時既にユベントスで国際的なスターになっておりミカエルはチームを牽引、グループリーグでウルグアイを6ー1で破るなど順調に勝ち続けグループリーグ3連勝の首位で決勝トーナメントに進出。しかし決勝トーナメント初戦のスペイン戦にてブトラゲーニョに4得点を許し1ー5の完敗で終わった。その後監督のリチャード・メラー=ニールセンの守備的戦術に反発し1990年11月14日ユーゴスラビア戦を最後に代表召集を拒否、1992年欧州選手権優勝チームにも名前を連ねる事もなく、その後1993年8月に代表復帰を果たしたもののワールドカップ出場は1998年フランス大会まで12年間待たなくてはならなかった。34歳で国際舞台に戻ってきたミカエルは主将として10番を背負い、また、唯一のワールド杯経験者としてチームを牽引、グループリーグでのフランス戦ではPKを決めると、決勝トーナメントではナイジェリアに4ー1で勝つなど高いパフォーマンスを披露。そして準々決勝のブラジル戦での敗戦を最後に代表を引退した。代表通算得点はデンマーク歴代5位の37得点、通算キャップ数はシュマイケルの129試合に次ぐ104試合を記録、約3年間の代表辞退がなければ母国最多キャップを数えたのは間違いなかったであろう。 96年にJFLのヴィッセル神戸に移籍をしてチームのJリーグ昇格に貢献するとキャリアの最後はオランダ強豪アヤックスに移籍。リーグ制覇とカップ戦のダブル達成に貢献し現役を引退している。 (01/03/15 Created)(03/11/03 Last updated)Presented by SHOW , collaboration is LEVEL-K football Island | ||||||||||||||||||