Denis LAW
デニス・ロー | ||||||||||||||||||
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60年代、B・チャールトン、G・ベスト等と共にマンチェスター・ユナイテッドにて一時代を築きその歴史に名を残した「金髪の悪魔」の異名を持つFW。ロングシュートやアクロバティックなシュートなども得意としたが、特筆すべきはそのヘディング能力である。自分よりもずっと長身のDFとの競り合いにも負けることなく、得点を量産。その鋭さから「ジャックナイフ」と呼ばれ相手DFに恐れられた。端正な容姿と豊かな才能に恵まれたローの魅力は男女問わず人々を魅了し、彼に憧れ「デニス」の名を我が子に付けるのが当時流行した。デニス・ベルカンプのデニスもローの名前からとってつけられたのは有名な話である。 1940年2月24日、アバディーンの貧しい漁師の息子として生まれ、幼い時はスパイクを買うのも苦労したと言う。15才の時ハダースフィールド・タウンに所属すると、1年後クラブ最年少記録となる16才でトップデビューを果たす。当時ハダースフィールドの監督だったビル・シャンクリーのもと技術を磨き、3シーズン在籍後マンチェスター・シティに移籍。ここで44試合21得点と素晴らしい活躍をすると、当時イングランドの移籍金最高額となる11万5千ポンドでイタリアのトリノへ移籍をする。しかしイタリアでの経験はローにとって苦しいものであった。交通事故での怪我による戦線離脱、そして海外でのプレーのため代表戦に招集されることが難しく、ローはわずか1シーズンで英国に戻ることを決意する。 その時ローに目をつけたのが、当時マット・バスビーによって率いられていたマンチェスター・Uである。ローはマンチェスター・Uでのデビュー戦で2得点を決めるとその後得点を量産。最初の5シーズンで222試合160得点と素晴らしい活躍を見せ、2回の優勝とFAカップ獲得に貢献、自身も1964年にバロンドールを受賞した。そして1968年、チャンピオンズカップファイナル、チームは聖地ウェンブリーにてベンフィカを破り、クラブ悲願のチャンピオンズカップを制覇。しかしその場にローの姿は無かった。ローは度重なる激しいプレーのため膝の怪我が悪化し、手術を受け、その日は病院のベッドからの観戦を強いられていた。チャンピオンズカップは後日マット・バスビーの手によって入院中のローの元へ届けられたと言う。 代表デビューは1958年10月18日ウェールズ戦。このデビュー戦で1得点を決めるとその後代表では代表通算55試合に出場、30得点を記録したのだった。この30得点はK・ダルグリッシュの30得点と共にスコットランド代表歴代最多得点だが、ダルグリッシュが102試合30得点である事から、ローの驚異的な得点力は容易に想像が付くところだろう。ローはマンチェスターUに11シーズン在籍後、古巣マンチェスター・Cに移籍しキャリア最後の1シーズンを過ごす事となるが、シーズン終盤第41節にてマンチェスター・Uの2部降格を決定させる決勝弾を奪ったのが皮肉にもローであった。現役引退後はラジオの英国放送にて新たなキャリアをスタートさせ成功を収めている。 (01/03/15 Created)(03/06/22 Last updated)Presented by SHOW , collaboration is LEVEL-K football Island | ||||||||||||||||||