Pierre LITTBARSKI
ピエール・リトバルスキー | ||||||||||||||||||
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小柄ながら足下に吸い付くかの様なトリッキーなドリブル、豊富な種類のフリーキックを武器に、80〜90年代ドイツ黄金時代を築いたスタープレーヤー。 地元ツェーレンドルフにてテクニックに磨きをかけバイスバスラー監督率いるケルンに加入後すぐに頭角を現す。1978年8月26日カイザースラウテルン戦にてブンデスリーガデビューを果たすと以後主力として活躍、通算14シーズンを過ごし406試合116得点の記録を残す。バイエルン黄金期にあってリーグ優勝を成し遂げる事は出来なかったが、82/83シーズンには国内カップ制覇、85/86シーズンにはUEFAカップでチームを決勝にまで導いた。(決勝ではレアル・マドリードに1ー5と大敗) リトバルスキーの名はクラブレベルより代表レベルで知名度を増したと言えるだろう。1981年10月15日のオーストリア戦で代表デビューを飾ると右ウィングとして活躍、1982年W杯では7試合に出場し2得点を挙げチームの準優勝に貢献、続く1986年W杯でも準優勝に貢献し1990年には見事W杯優勝のタイトルを手中にする。10年以上に渡って最強と唱われたドイツ代表にあってその突破力は不可欠なものであったと言えるだろう。(ワールド杯18試合出場)ドイツ代表(西ドイツ代表含む)として73試合出場18得点。 1993年Jリーグ開幕と同時に来日、世界各国のスターの参加で話題となったがリトバルスキーもまた、その1人であった。ケルン時代の友人、奥寺康彦氏の薦めもありジェフ市原に加入すると63試合10得点、その後ブランメル仙台にて現役を引退した。引退後は日本サッカー協会S級ライセンスを取得、横浜FC監督に就任しJ2昇格に貢献した。 (02/02/24 Created)Presented by SHOW football Island | ||||||||||||||||||