Cristiano LUCARELLI
クリスティアーノ・ルカレッリ | ||||||||||||||||||||||||
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恵まれた体格を活かしたパワー溢れるプレーでゴールを量産するルカレッリ兄弟の兄。長年の放浪の末辿り着いた地元リヴォルノにおいて熱狂的な支持を集める英雄となり、その期待に応える活躍で成功を納めた。リヴォルノでの背番号は代名詞とも言える「99」。 サッカー選手を夢見ていたという父親の影響から幼年期より弟アレッサンドロと共にサッカーを始める。下部リーグにあったクオイオペッリを経てペルージャへ入団し94/95シーズンにセリエBデビュー、その後加入した同じセリエBのコゼンツァ、パドヴァにおいて得点を量産し97/98シーズンにセリエAアタランタへ引き抜かれた。1997年8月31日ボローニャ戦にてセリエAデビューを果たし、この試合でセリエA初得点を記録、更に翌周には2得点を挙げ脚光を浴びるも、活躍は長く続かずシーズン通算5得点とチームを満足させるには至らなかった。チームのB降格に伴いスペインへ渡り、ここでも活躍する事は出来なかったが1999年よりセリエAに戻ると本領を発揮するようになる。1年目にチーム総得点の約半分となる15得点を挙げチームのA残留に貢献、翌シーズンにも12得点を挙げセリエAでも有数のストライカーとなった。しかし名門トリノへ移籍後は極度のスランプに陥り02/03シーズンには26試合1得点と悲惨ともいえる成績に終わった。03/04シーズン、生まれ故郷であるセリエBリヴォルノにおいてプロッティとの見事なコンビでその才能は再生され、得点ランク2位となる通算29得点で61年振りのセリエA復帰に多大なる貢献を見せた。更に翌04/05シーズンには爆発的なゴールラッシュを見せ第34節パルマ戦では1試合4得点の離れ業も演じ、ジラルディーノ、モンテッラ等のスタープレーヤーを抑え通算24ゴールで得点王に輝いた。翌05/06シーズン、チーム会長の乱心からドナドニ監督が辞任に追い込まれる中、動揺するチームの中でも19得点を記録して2年連続のA残留に貢献、以後セリエAを代表するストライカーとして成功を納め07/08シーズンより約14億円の移籍金でウクライナ名門シャフタール・ドネツクへ移籍している。残念ながらウクライナの環境に馴染めず、この移籍はルカレッリにとって失敗に終わりわずか半年で母国復帰となった。 代表としては1996年五輪メンバーに選出され2試合に出場、無得点に終わったが、同年10月、Uー21代表の試合の中で2試合連続のハットトリックを達成するなど通算14試合10得点と高い決定力を見せた。しかし、当時フル代表攻撃陣の層は厚く、まだ若くて安定感に欠けたルカレッリはフル代表に召集される事はなかった。その後調子を落とし、タイミングを逃したまま代表とは無縁の日々を過ごしたが、04/05シーズンリーグ得点王の活躍が認められ2005年上旬北米遠征代表メンバーに選出、6月8日セルビア・モンテネグロ戦にて代表初キャップを刻むとこの試合で初得点もマークし存在感を示している。残念ながら翌年W杯優勝メンバーに名を刻む事は出来なかったが、トニやジラルディーノにもまったく引けを取らないストライカーであるのは誰もが認めている所であろう。 余談だが、弟アレッサンドロはアグレッシブなDFとして活躍しており03/04シーズン兄はリヴォルノ、弟はフィオレンティーナにて共にセリエA昇格に貢献、更に04/05シーズンにはリヴォルノにおいてプロキャリアの中で初めてチームメイトとなり、共に主力として活躍した。 (05/05/30 Created)(08/01/16 Last updated)Presented by SHOW football Island | ||||||||||||||||||||||||