Felix MAGATH
フェリックス・マガト | ||||||||||||||||||
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左足の芸術とも言えるテクニックと頭脳的なプレーでゲームメーカーとして活躍、強烈なミドルシュートも持味でありドイツ人特有の強い精神力も兼ね備えた80年代を代表する西ドイツ代表MFである。愛称「猫のフェリックス」。監督としても近年のシュツットガルトを立て直し強豪チームに押し上げるとその後ブンデスリ−ガ最強チームであるバイエルン・ミュンヘンを指揮、リーグ優勝を達成している。 ヴェルツブルクから北西の町アシャッフェンブルクに生まれたフェリックス・マガトはVfRニルクハイムにて本格的にサッカーを始める。その後地元アマチュアチームで評判を高めると1976年にハンブルガーへ引き抜かれプロキャリアをスタート、1976年8月21日ブレーメン戦にてブンデスリーガデビューを果たす。ここですぐに主力の座を確立、このシーズンのカップウィナーズカップ決勝アンデルレヒト戦では貴重なダメ押し点も記録し、初の欧州カップ優勝に貢献するが、これはその後訪れる黄金期の序章に過ぎなかった。78/79シーズン、19年振りのリーグ優勝を果たすと、翌シーズンにはチャンピオンズ・カップのファイナリストとなった。残念ながら、この決勝では敗れたものの81/82シーズンよりリーグ2連覇を成し遂げ、そして、自身2度目の挑戦となる82/83シーズンチャンピオンズ・カップ決勝の舞台において最も脚光を浴びる瞬間が訪れる。決勝にまで勝ち進んだチームの相手はプラティニ擁するユベントスであり、ハンブルガーの不利は目に見えて明らかだった。しかし、試合開始早々この前評判を覆す25メートルの先制弾を叩き込んだのがマガトでありこの失点で浮き足立ち焦るユベントスに対し得点は許さずクラブ祈願のタイトルを手中にしたのである。このタイトルが自身にとって最後のタイトルとなったが70年代後半から80年代はじめにおけるハンブルガ−の輝かしい栄光はマガト抜きには有り得なかったであろう。 代表デビューは1977年4月30日ユーゴスラビア戦。1980年欧州選手権では2試合に出場し優勝メンバーの一員となり、1982年W杯では4試合に出場し準優勝に貢献した。しかし、その芸術的なテクニック重視のプレースタイルは、パワーとタフさが求められた当時の戦術では重要視されず、このW杯を最後に代表から離れた。しかし、チャンピオンズ・リ−グ等での活躍が改めてその評価を高め1984年9月アルゼンチン戦にて31才で代表復帰、その後も主力として活躍し1986年W杯では6試合に出場、優勝を果たす事は出来なかったがチームの精神的支柱として大きな役割を果たした。代表通算43試合3得点。 (05/04/20 Created)Presented by SHOW football Island | ||||||||||||||||||