Sepp MAIER

ゼップ・マイヤー

ゼップ・マイヤーのフォト
 フルネームヨゼフ・ディーター・マイヤー
 国籍ドイツ(西ドイツ)
 生年月日1944年2月28日
 出身地バイエルン
 ポジションGK
 身長・体重183cm・77kg
 個人タイトルなし
 ワールド杯1970年3位
1974年優勝
1978年2次リーグ進出
所属クラブ
1963-79バイエルン・ミュンヘン

強靭なバネと鋭い反射神経からDie Katz「猫」の異名を持つ西ドイツ史上最高の守護神の一人がゼップ・マイヤーである。60年代から70年代に渡ってドイツの強豪バイエルン・ミュンヘンと西ドイツ代表のゴールマウスに君臨し続け、両チームの黄金期を支えた絶対的な守護神であり、バイエルン・ミュンヘンでは66年から77年にかけて実に442試合連続出場という大記録を保持している。

西ドイツ、レーゲンスブルグのメッテンにて生まれたゼップ・マイヤーが最初に始めたスポーツはテニスであった。しかしなかなか上達しなかったため8歳からサッカーを始め、地元近くのTSVハールにて6年を過ごすと1958年よりドイツの強豪バイエルン・ミュンヘンに所属。以後19年間、キャリアを終えるまで同クラブにてゴールを守り続けた。

63/64シーズン8月4日ノイアイゼンブルグ戦にてトップデビューを果たし翌シーズンにはほぼ定位置を確保。65/66シーズンに初のタイトルであるドイツカップを獲得すると翌シーズンにはドイツカップとカップウィナーズカップのダブルを達成。68/69シーズンには初のリーグ制覇とドイツカップのダブルと数々のタイトルを獲得していった。

代表では1966年5月4日のアイルランド戦にて代表デビューを果たすと1966年ワールドカップイングランド大会にも召集される。しかしこの時は代表GKハンス・チルコウスキの控えに過ぎず、出場機会を得る事は出来なかった。そして迎えた1970年ワールドカップメキシコ大会では全6試合に出場。チームは3位に食い込み、1972年欧州選手権ベルギー大会では決勝でソビエトを破り欧州一の称号を獲得、1974年の母国で開かれたワールドカップではオランダとの死闘を制し、ついに世界一の称号を得たのだった。この大会、マイヤー自身は全7試合に出場。うち4試合で相手を無得点に抑え、全試合を通じて許した得点はたった4点という圧倒的な安定感を見せ、母国優勝に大きく貢献した。代表通算95試合。

母国でのワールドカップを制した1974年、マイヤーはキャリアの絶頂を迎えつつあった。71/72シーズンから73/74シーズンまでリーグ3連覇を達成させていたバイエルンは73/74シーズンチャンピオンズカップ決勝ではアトレティコ・マドリッドを再試合の末破り、優勝を勝ち取ると翌シーズンのチャンピオンズカップ決勝ではリーズを完封し優勝、そしてその翌シーズンのチャンピオンズリーグ決勝ではサンテティエンヌをを破り大会3連覇の偉業を成し遂げ、1976年にはブラジルのクルゼイロを破りインターコンチネンタルカップを獲得、世界一の称号を手に入れた。こうした活躍が認められると1975年を皮切りに77年、78年とFWやMF以外が取る事が難しいとされていたリーグ年間最優秀選手賞を計3回も受賞したのであった。

こうして輝かしいキャリアを築いていたマイヤーだったがその終わりはある日急に訪れた。1979年に大きな自動車事故に巻き込またのである。一命は取り留めたがこのときの怪我が元で選手生命は絶たれ現役を引退。この事故がなければまだまだ現役を続けゴールマウスに君臨し続けた事であろう。

現役引退後はドイツ代表とバイエルン・ミュンヘンのGKコーチを務めカーンを一流に育て上げそのコーチのしての能力も実証されている。また、幼い時の縁からテニススクールをも開校させるとともに、マイヤー自身は大変のゴルフ好きとしても知られている。また、余談ではあるが、GKとして超一流は間違いないが、ピッチの外では「人を笑わせる事」にかけて超一流であり、チーム内においてムードメーカーとしても絶対必要な選手であったという。

(01/04/21 Created)(04/01/26 Last updated)
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