Diego MARADONA
ディエゴ・マラドーナ | ||||||||||||||||||
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アルゼンチン史上最高のスター選手であり20世紀世界最高のファンタジスタ。神業とも言える左足のテクニック、創造力溢れるプレー、抜群の決定力、そして、誰にも止める事の出来ない突破力、その存在感は計り知れない。今後も永遠にサッカー界に語り継がれるスーパースターでありマラドーナに憧れプロとなった現役スタープレーヤーが数多いのは言うまでもない。 物心つく前からサッカーボールを蹴り始めたディエゴ・マラドーナは8才でアルヘンチノス・Jrsに入団。ジュニア部門にて本格的に指導を受け、当時から抜群のポテンシャルを見せた。1976年10月20日タジェレス戦にて弱冠15才でトップデビューを果たすと驚異的なテクニックで人々を魅了し瞬く間に注目を集め、トップデビューからわずか4ケ月で迎えた1977年2月27日のハンガリー戦においてフル代表デビューも果たす。翌年自国開催となったW杯では若すぎる事を理由に代表から漏れたがユース代表のキャプテンとして挑んだワールドユース東京大会にて母国を優勝に導きマラドーナ自身もこの大会の最優秀選手に選出されている。ボカ・ジュニアーズにてリーグ優勝などに貢献した後、スペインへ活躍の場所を移すが怪我や病気などの不運からカップ戦優勝に貢献したのみに止まり1984年よりイタリア名門ナポリへ移籍する。この移籍の際、莫大な移籍金支払いによりナポリは経営難に陥るもファン等の莫大な寄付金により、ナポリ・マラドーナが誕生したのも有名な話である。 こうしてマラドーナ擁するナポリ黄金期が始まり、86/87シーズンにはクラブ初のスクデットに貢献、このシーズンはコパ・イタリアでも優勝し2冠を達成すれば88/89シーズンにはUEFAカップ優勝、89/90シーズンにも2度目のスクデット獲得するなど数々のタイトルをもたらした。栄光の背番号10番は現在でもマラドーナのものとして永久欠番となっているのも納得のいく所である。その後は薬物使用などにより1991年、1994年に各15ケ月の出場停止処分を受けるなどキャリアの終盤は、その名声を落とす迷走の末現役を引退したのは残念な所である。 マラドーナ自身初のW杯となった1982年大会では若さを暴露し退場処分を受けチームも2次リーグで敗退してしまったが、1986年大会では見事なまでのプレーを演出、今尚伝説として語られるイングランド戦で見せた2つの奇跡「神の手ゴール」「5人抜き」を始めすべての場面で最高のプレーを披露し優勝に貢献、まさにこのW杯はマラドーナのための大会であった。代表通算91試合出場34得点。 1994年までは欧州国籍以外の選手にはバロンドールの権利が無かったため、その栄冠に輝く事は出来なかったが、もし現在のような「欧州でプレーする選手」にバロンドールが認められていたなら、少なくとも2度の栄冠に輝いたのは間違いないだろう。 (01/03/15 Created)(02/08/22 Last updated)Presented by SHOW football Island | ||||||||||||||||||