Javier MASCHERANO
ハビエル・マスケラーノ | ||||||||||||||||||
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その若さに似合わぬ冷静な判断力とパス能力を備え、鋭い読みから相手を封じるアルゼンチン代表ボランチ。マスケラーノのプレースタイルは基本的に地味ではあるが、広い視野から攻撃の起点となるなど好守においてバランスのとれた才能は一級品である。 リーベルの下部組織で育つ傍らUー17アルゼンチン代表等で経験を積む。2003年にトップ昇格を果たし03/04前期リーグ8月3日ヌエヴァ・チカゴ戦にて後半開始と同時にリーグデビュー、通算10試合に出場し経験を積むと03/04後期リーグでは優勝に多大なる貢献を見せ、2004年南米最優秀選手投票では親友であるテベスに次いで2位に選出された。更に2003年開催されたワールドユースでは6試合に出場、準々決勝アメリカ戦では後半ロスタイムに値千金の同点ゴールを記録するなどベスト4進出に貢献、この活躍が当時フル代表を指揮したビエルサ監督の目にとまり2003年7月16日ラプラタで行われたウルグアイとの試合にてフル代表デビューも飾った。翌年のコパアメリカでは主力として活躍し準優勝に貢献、更に翌月より開幕したアテネ五輪では不動のレギュラーとして全6試合に出場、全試合を無得点に抑える功労者の1人となり母国初の金メダルに大きく貢献し、この活躍はレアル・マドリード、アーセナルといった欧州ビッグクラブが獲得に動く程であった。五輪閉幕後、ビエルサ監督の突然の辞任によりそのポジションは危うくなるかと思われたが後任のペケルマン監督の元で更に信頼を勝ち取り2006年ワールド杯南米予選等重要な試合においてもレギュラ−として活躍し本大会出場権獲得に貢献してみせた。 2005年7月、大型補強を進めるブラジル強豪コリンチャンスへ加入、不運にも9月に足の疲労骨折が判明し長期の戦線離脱を強いられたが翌年ワールド杯までにトップコンディションを取り戻すと、本大会では全5試合にフル出場し改めて能力の高さを証明、大会終了後の8月、チームメイトであるテベスと共にウェストハムへ加入する事が決まった。残念ながらここではチームにフィット出来ず、欧州カップを含む出場した7試合すべてチームが敗れる不運を経験しシーズン途中にしてリバプールへ移籍する事となったが、その能力に疑いの余地はなく、あのマラドーナも認める才能の欧州成功は時間の問題と信じておきたい。 (05/03/05 Created)(07/02/21 Last updated)Presented by SHOW football Island | ||||||||||||||||||