Lothar MATTHAUS
ローター・マテウス | ||||||||||||||||||
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1980年代から90年代、約20年間に渡ってピッチに君臨し続けたドイツの鉄人。無尽蔵のスタミナと強力なシュート、そして的確な読みによるゲームメイクを武器にクラブ、代表共にチームにとって欠くことのできない存在であったマテウスはクラブでも様々なタイトルを獲得すると代表では実に5回のワールドカップに出場。ワールドカップ最多出場記録25試合という驚異的な記録を保持している。 1961年3月21日、西ドイツのエルランゲンで生まれたマテウスは、9歳の時にヘルツォゲンナウラッハで本格的にサッカーを始め、18歳の時当時ドイツで勢いのあったボルシアMGへ移籍し、すぐに頭角をあらわす。ボルシアMGでレギュラーを獲得し5年間で162試合36得点を記録すると84/85シーズンよりドイツの雄、バイエルン・ミュンヘンへ移籍する。加入シーズンからクラブ3連覇に貢献すると、85/86シーズンにはドイツカップ制覇。一時代を築いたマテウスは88/89シーズンよりイタリアからの誘いを受けインテルへ。 インテルでも移籍初年度にクラブ8年ぶりとなるリーグ制覇をもたらすと1991年にはクラブに初のUEFAカップをもたらし、マテウス自身は決勝戦第1戦で先制点となるPKを決めている。4シーズン在籍後再びバイエルンに戻ると既に30歳を越えていたにも関わらずさらに輝きを見せ4回のリーグ制覇、UEFAカップ1回、ドイツカップ2回に貢献し1999年には自身2回目となるドイツ年間最優秀選手賞を受賞した。 代表ではボルシアMGに移籍して間もない、1980年6月14日のオランダ戦で代表デビューを飾ると、1980年欧州選手権優勝メンバーに名を連ねその後1982年ワールドカップスペイン大会へ出場。この時は2試合の出場にとどまるが1986年メキシコ大会では全7試合に出場し決勝トーナメント1回戦モロッコとの試合では貴重な決勝弾を挙げるなどの活躍を見せる。決勝にてアルゼンチンのマラドーナを封じ込めるが3−2で敗戦、惜しくもワールドカップを逃してしまう。そして迎えた1990年イタリア大会。当時インテルに所属していたマテウスは慣れ親しんだイタリアの地で初戦のユーゴスラヴィア戦にて2ゴールを記録し4−1の勝利に貢献。この試合で勢いに乗り決勝にまで進出すると再びアルゼンチンと合いまみえるがここで4年前のリベンジを達成。ドイツに2度目のワールドカップをもたらし、マテウスはこの活躍が認められ1990年にバロンドールとワールドサッカー誌が選出する世界年間最優秀選手賞、そしてドイツ年間最優秀選手賞など多くのタイトルを獲得、翌年にはFIFA選出世界年間最優秀選手賞をも受賞した。そして、1994年アメリカ大会でゼーラー、ジムーダ、マラドーナ等の大会最多出場記録の21試合に並び、1998年フランス大会では怪我により出られなくなったザマーの代わりにスウィーパーのポジションで試合に出場。このとき37歳ながら4試合に出場し歴代最多ワールドカップ通算25試合に出場という大記録を樹立して見せたのである。その後は2000年欧州選手権に出場し、代表引退となったポルトガル戦にて代表通算150試合を達成。ドイツ代表歴代最多記録をも樹立した。代表通算150試合23得点。 晩年は米国のメトロスターズに移籍。1シーズンを過ごした後現役を引退、2001年9月からオーストリアのラピッド・ウィーンにて監督として第2の人生を歩み始めた。 クラブ、代表、そして個人としてもあらゆるタイトルを獲得してきたマテウスだったが、そのキャリアにチャンピオンズ・カップを刻むことは出来なかった。98/99シーズンマンチェスター・ユナイテッドとの決勝、1ー0とリードした後半ロスタイム、大会史上最も劇的な逆転負けをうけ、彼の長いキャリアの中でも最も不幸な瞬間であったのは、この時ベンチで呆然とピッチを眺めるマテウスの姿から容易に想像出来、勝利に浸るマンチェスターの面々よりも印象深いものであった。 (01/03/15 Created)(03/07/23 Last updated)Presented by SHOW , collaboration is LEVEL-K football Island | ||||||||||||||||||