Valentino MAZZOLA

ヴァレンティーノ・マッツォーラ

ヴァレンティーノ・マッツォーラのフォト
 フルネームヴァレンティーノ・マッツォーラ
 国籍イタリア
 生年月日1919年1月26日
 出身地カッサーノ・ダッダ(ミラノ)
 ポジションMF・FW
 身長・体重-cm・-kg
 個人タイトルなし
 ワールド杯なし
所属クラブ
1939アルファ・ロメオ
1939-42ヴェネツィア
1943-49トリノ

イタリアサッカー史上最大の伝説「グランデ・トリノ」のキャプテン。卓越したゲームメークにスピード、得点感覚、並外れた身体能力を備え闘志溢れるプレーでその名を歴史に刻んだスタープレーヤーであり「スペルガの悲劇」によって命を落とした悲劇のファンタジスタでもある。1960年代イタリア代表とインテルの旗頭として君臨したサンドロ・マッツォーラの父親としても知られる。

故郷チーム、トレ・ソルディにて本格的にサッカーをプレーし始め1939年当時セリエCにあったアルファ・ロメオへ入団、その後兵役によって赴任する事となるヴェネツィアにて自身の運命を大きく変える事となる。当時セリエAに昇格したばかりのヴェネツィアのセクションに応募し合格すると20才でセリエAデビューを果たし6試合に出場1得点を記録する。翌シーズンより不動のレギュラーとして活躍、エツィオ・ロイクとのコンビによってリーグ屈指の中盤を構成し1941年のコパ・イタリア優勝に貢献すれば翌年にはリーグ3位という好成績に貢献、通算170試合97得点の記録を残して当時強豪クラブの1つであったトリノへ引き抜かれる。ここでもチームリーダーとして君臨し1943年から第2次世界大戦をによる中段を挟んで1949年までの5シーズンにおいてリーグ5連覇を達成、46/47シーズンには29得点を挙げて得点王にも輝いている。

1949年5月4日、リスボンで行われたベンフィカとの試合(当時ポルトガル代表キャプテンであったフェレイラの引退試合)を終え帰国の途についたが、彼等を乗せた飛行機はトリノ郊外スペルガの丘に立つ教会に激突炎上、その生涯を終える。(18名すべての搭乗員が死亡)この事故によりレギュラーの大半を失ったトリノとイタリア代表は弱体化を強いられるが当時6才だった息子サンドロが14年後、父親の後を継ぐように代表に選出、スペルガの悲劇の悲しみを癒す快挙として大きく報道される事となる。

(02/12/31 Created)
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