Predrag MIJATOVIC
プレドラグ・ミヤトビッチ | ||||||||||||||||||
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強引なドまでのドリブルからゴールを奪い、前線から中盤までを精力的に動いてチャンスメーカーとしての能力にも優れた。黒光りのオールバックをかき乱しながら、猛然とゴールを襲うあの姿は印象深く、人々の記憶に残るプレーヤーの1人と言えるだろう。 プレドラグ・ミヤトビッチは1987年にプドゥチノストでデビューを果たし1986年パルチザンへ。92/93シーズンに17得点を決めてリーグ優勝に貢献、その活躍もあって翌シーズンからスペイン名門バレンシアへ引き抜かれた。1993年9月5日オヴィエド戦にてリーガデビューを飾ると、このデビュー戦で2得点を記録しすぐにレギュラーの地位を確立させた。このシーズン16得点、翌シーズンには12得点とコンスタントに得点を記録すると95/96シーズンにはリーグ2位となる28得点を記録、チームのリーグ2位という好成績に大きく貢献し、レアル・マドリードへ引き抜かれた。移籍当初はカペッロ監督の管理サッカーに反抗し、強引なプレーが目立ったものの戦術理解度が深まるにつれ本領を発揮、14得点を記録した他シュケルのアシスト役としても貢献し、リーグ制覇を果たす。また、97/98シーズンチャンピオンズ・リーグ決勝では、貴重な得点をあげ、チーム32年振りの優勝に、なくてはならない存在であった。その後イタリアへ渡り3シーズンプレー、チームの財政難消滅からバレンシアを本拠地とするスペイン2部レバンテへ加入する。残念ながら02/03シーズンを4位で終え1部昇格は果たせなかったがチームの顔として君臨し活躍した。 レバンテ移籍前、まだまだトップリーグでプレーする事も出来、実際にトップリーグチームからオファーも届いていたが、何故2部リーグのレバンテを選んだのか・・・、実はこの移籍、ミヤトビッチ自身の家族が住むバレンシア近郊の住宅街に戻り、水頭症に苦しむ幼い息子のそばにいたいという一心からであったという。 旧ユーゴスラビア時代、1987年のWユースをボバン等と共に戦い優勝を経験、1989年8月23日フィンランド戦にてフル代表デビューを果たす。1998年フランスW杯欧州予選プレーオフハンガリー戦では2試合7得点と驚異的な爆発力を見せ国民的英雄となるが、期待され挑んだ本大会では4試合1得点と、その能力を発揮する事は出来なかった。(この大会、あのロナウドと並んで得点王候補であった)代表通算73試合28得点。 (01/08/01 Created)(04/05/31 Last updated)Presented by SHOW football Island | ||||||||||||||||||