Tsuneyasu MIYAMOTO

宮本恒靖

宮本恒靖のフォト
 フルネーム宮本恒靖
 国籍日本
 生年月日1977年2月7日
 出身地大阪府富田林市
 ポジションDF
 身長・体重176cm・72kg
 個人タイトルなし
 ワールド杯2002年ベスト16
2006年グループリーグ敗退
所属クラブ
1995-06ガンバ大阪
2006-レッドブル・ザルツブルグ(オーストリア)

ディフェンダーとして、けして恵まれた身体とは言えないが生まれついてのキャプテンシーと判断力によって最終ラインを統率、戦術理解力にも優れており、いかなる戦術にも対応出来る器用さを兼ね備える。元日本代表主将。

1987年5月、伏山台FC入団し本格的にサッカーを始める。その後地元の金剛中学校を経て卒業後の1992年4月にガンバ大阪ユースへ。1993年Uー17世界選手権メンバーにも選出される逸材は着実に成長すると1995年1月にトップ昇格、同年6月24日、1st第19節の柏戦でJリーグデビューを果たす。その後出場機会を増やし経験を積むと主将も勤めるなど守備の要として活躍し2005年にはJリーグ初制覇を達成させた。また、自身3度目の選出となった2000年オールスター杯では選出選手の中で最も高い得票数を集めると2002年にも同じく最高得票数を集めるなどJリーグの中でも絶大な人気を誇った。2006年シーズン終了後、祈願の欧州移籍を実現、オーストリアリーグという、けしてメジャーではないリーグであるがここで成功を収め次なるチャレンジに挑戦して欲しい所だ。

1997年ワールドユースではキャプテンとしてベスト8進出に貢献、1999年のシドニー五輪予選でもキャプテンとしてチームを牽引し出場権獲得に大きく貢献すると、2000年シドニー五輪でもブラジル戦に出場した。2000年6月18日、横浜で行われたボリビア戦にて祈願のフル代表デビューを果たし、序所にトルシエ監督の信頼を掴むと、迎えた2002年W杯では負傷の森岡に代わって4試合すべてに出場、合宿中の鼻骨骨折から黒いフェースマスクを付けプレーする事を余儀なくされたが、その姿から「バットマン」と名付けられ、ピッチ内でひときわ異彩を放った。ジーコジャパン発足後は出場機会に恵まれなかったが、2003年6月11日のパラグアイ戦にて1年振りの代表復帰戦を飾り、同年コンフェデ杯には全3試合にフル出場を果たして信頼を勝ち取る。2006年W杯アジア地区予選にはチーム唯一の全試合出場、自身2度目のW杯舞台の切符を手に入れている。

(03/10/25 Created)(07/01/21 Last updated)
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