Bobby MOORE

ボビー・ムーア

ボビー・ムーアのフォト
 フルネームロバート・フレデリック・
チェルシー・ムーア
 国籍イングランド
 生年月日1941年4月12日
 出身地バーキング
 ポジションDF・MF
 身長・体重183cm・78kg
 個人タイトル1970年欧州最優秀選手投票2位
(F・F誌)
 ワールド杯1962年ベスト8
1966年優勝
1970年ベスト8
所属クラブ
1958-74ウェストハム・ユナイテッド
1973-77フルハム
1976サンアントニオ・サンダー(米国)
1978シアトル・サウンダーズ(米国)

常に冷静沈着で、高度なディフェンス能力により奪ったボールは、正確なパスにより的確にフィードされ、チャンスを創りだす事にも優れた。60年代最高のイングランド代表ディフェンダーでありウェストハムの象徴的存在、その紳士的な態度から抜群の信頼を寄せ、クラブでも代表でも長くに渡りキャプテンを努め、「生まれながらのキャプテン」として賞賛された。

1941年4月12日、ロンドン東部の町バーキングで生まれる。幼い頃からの憧れのチーム地元ウェストハムにてキャリアをスタートさせ、トップデビューは1958年9月のマンチェスター・ユナイテッド戦。当初はあまり出場機会に恵まれなかったが1961年に新監督、グリーンウッドが就任すると彼の目にとまりレギュラーとして定着、すぐに才能を開花させた。ウェストハムではリーグ制覇こそ成し遂げられなかったが1964年にFAカップ初制覇を成し遂げると、ムーア自身も史上最年少となる23歳でリーグ年間最優秀選手賞を受賞、1965年にはカップウィナーズカップ決勝で1860ミュンヘンを破り欧州タイトルも獲得する。16シーズンに渡ってウェストハムのディフェンスラインを統率した彼は常にクラブの象徴でありクラブ年間最優秀選手賞も4度受賞した。

1962年5月20日ペルー戦にて代表デビューを果たすと同年に開催されたワールド杯にて全4試合にフル出場、翌年には弱冠22歳でキャプテンを任されるまでになり、その後代表通算108試合中ビリー・ライトと並ぶ歴代最多90試合をキャプテンとしてプレーした。1966年、母国開催となったワールド杯では彼の統率するDFラインは最高の守備力を発揮、準決勝ポルトガル戦にてエウゼビオのPKを許すまで無失点で勝ち進み、決勝では延長戦の末ベッケンバウアー等素晴らしいタレントを誇った西ドイツをも下し、イングランドに初のワールドカップをもたらすと同時に自身もこの大会の最優秀選手に選出されている

続く1970年ワールド杯コロンビア大会にてムーアを悲劇が襲う。直前合宿を行っていたコロンビア、ボゴタのホテルに滞在中彼はそのホテルの宝石店にて625ポンドのエメラルドをあしらった金のブレスレットを盗んだ罪で現地の警察につかまり4日間拘留された。すぐにFAが介入しムーアは釈放されたが、本大会ではそのショックを引きずり満足なパフォーマンスが出来ず、ベスト8進出に終わってしまう。この事件の真相は明らかになっていないが、当時の中南米の国々と欧州の国々との外交摩擦からこの事件がでっち上げられたと言う説が有力である。余談だがこのような時代背景があった為、当時の対ブラジル戦での試合終了後のムーアとペレとのユニフォーム交換の写真は南米と欧州の和解の象徴としてワールド杯で最も有名な写真の1つとして残っている。(上のムーアのフォト上にカーソルを置けば、この写真が確認出来ます)

この後、ムーアは代表引退、それを機にウェストハムを去ることを決意。新天地をフルハムに求めここでカップ戦を含め150試合以上に出場。3シーズン在籍後、アメリカに渡りここで現役を引退した。

現役引退後、体調を崩したこともあり指導者としての活躍は数えるほどしかなかった。そして1991年に癌を発症。2年間の闘病生活の後、1993年2月24日癌のため51歳の若さでこの世を去った。癌との闘病生活を世間に公表してからわずか9日後のことだった。当時ウェストハムのスタジアムの門にはウェストハムのファンに限らず多くの人々がマフラーを結びつけ追悼の意を示したと言う。ウェストハムのファンにより今でも愛され、伝説としてあがめられているムーアは、今も熱狂的なサポーターが陣取るスタジアムの南スタンドにその名前を残している。

(01/03/15 Created)(03/05/14 Last updated)
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