Domenico MORFEO
ドメニコ・モルフェオ | ||||||||||||||||||||||||
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卓越した個人技、広い戦術眼、華麗なドリブルから繊細で豪快なシュート、見る者を魅了する華のあるプレースタイルは、現在貴重になりつつあるファンタジスタと言うに相応しいプレーヤーである。 95/96シーズンセリエAにおいて昇格組であったアタランタはシーズン中盤まで4位につける健闘を見せ、その中心的存在として活躍する若きモルフェオは一気に注目を集めた(30試合11得点)。翌シーズンにも司令塔として君臨し当時チームメイトであったインザーギに再三に渡るキラーパスを連発、このシーズンのインザ−ギの得点王タイトルになくてはならない存在であったと同時に、モルフェオ自身もあのバッジョの後継者との最大級の評価を得てフィオレンティーナへ引き抜かれる。当時フィオレンティーナには絶対的司令塔に君臨するルイコスタがいたためバティ、オリベイラと共に3トップの一翼を担う事となるがここでもまずまずの活躍を見せた。しかし、その後チームはエジムンドという得点能力に優れたFWを獲得、同時にモルフェオの出場機会は激減するようになる。翌シーズンに出場機会を求めミランにレンタル移籍、当時低迷していたミランの司令塔として絶大なる期待を背負っての移籍であり、その能力に疑う者もなかったが、ザッケローニ監督との確執から、わずか11試合の出場機会しか与えられなかった。その後フィオレンティーナに復帰するも、またもカリアリにレンタルされここでも監督との確執から5試合の出場に終わり、モルフェオの名は完全に人々の間から忘れ去られる存在となりつつあった。しかし・・・、99/00シーズン途中から移籍したヴェローナでアタランタユース時代の指揮官であったプランデッリ監督と再会、これによって、突如その才能は生きを吹き返しこのシーズンのチームの快進撃を支えると00/01シーズンに加入した古巣アタランタでも絶大な存在感を示した。その後加入するフィオレンティーナ、インテルでは活躍出来なかったが03/04シーズンより加入したパルマにて再び輝きを取り戻す事に成功している。 イタリア代表レベルではユース代表エースとして活躍、1992年Uー17欧州選手権では全試合に出場し3位の好成績に貢献、1996年オリンピックにも2試合に出場している。全盛期の技術を持ってしてフル代表の召集すら受けた事のない事実が嘘のようである。 (01/08/05 Created)(07/02/20 Last updated)Presented by SHOW football Island | ||||||||||||||||||||||||