Ryuzo MORIOKA
森岡隆三 | ||||||||||||||||||
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状況判断の良さを武器にトルシエ時代の代名詞「フラット3」を統率したDFの要。1対1にも強く、またディフェンスならどこでもプレー出来るユーティリディ性も兼ね備える 神奈川名門桐蔭学園へ入学すると、その堅実な守備能力が買われて1年の時からレギュラーとして活躍、1991年、92年と全国選手権出場するも2大会連続のPK戦敗退を屈する。卒業後は鹿島アントラーズへ入団するが、当時清水エスパルス監督であった宮本氏の強い要望に応え翌年にエスパルスへ加入する。移籍当初は両サイドバックから前線でのプレーをこなすなど器用さを発揮、アルディレス監督就任後にセンターバックに定着し、その能力を飛躍的に開花させると1999年セカンドステージ優勝に大きく貢献、自身も年間ベスト11に選出された。その後も不動のディフェンダーとしてチームに貢献するが2006年には若手の台頭もあり出場機会が激減、翌2007年シーズンよりJ2京都への移籍を確定させている。 代表デビューは国立で行われた1999年3月31日のブラジル戦。瞬く間に当時日本代表を指揮したトルシエ監督の信頼を得ると守備の要に成長、2000年シドニーオリンピックではオーバーエイジ枠で出場し決勝トーナメント進出に貢献すると同年に開催されたアジア・カップでは主将として挑み優勝に貢献、最優秀ディフェンダーにも選出される活躍を見せた。2002年ワールド杯でも主将として挑むが、初戦ベルギーとの試合で負傷し1試合の出場に終わったのは悔やまれる所、その後ジーコ監督の元では重要視されず現在まで代表から遠ざかっている。 (02/05/14 Created)(07/02/20 Last updated)Presented by SHOW football Island | ||||||||||||||||||